第18回 青い海と空を越えて <沖縄>
加治木のまちで一夜を過し、翌日ゆっくりパンで朝食をとり、鹿児島空港へ
向かった。加治木のまちを出るときに、飛行機代のお金を郵便局のATMでおろ
し、スピード写真を撮った。なぜ、写真が必要だったかというと・・・。
1時間程で空港に着き、早速カウンターで、那覇行き飛行機のチケットを買 った。そう、このとき、朝撮ったスピード写真が必要だったのです。国内線飛 行機には、「スカイメイト」という「学割」に近い制度があり、22歳未満で当 日券に限り、半額近くでチケットが買える。そう、この登録に証明写真が必要 だったのだ。スカイメイトの登録(1,000円)も無事済み、ピーク時期を過ぎ ていたこともあり、那覇行きのチケットも簡単にゲットした。
飛行機の便が手配できたところで、そそくさと自転車に積んでいた全ての荷 物をザックに詰め替え、自転車の前後輪の車輪を外し、輪行バッグに自転車を 詰めた。フェリーと違い、飛行機には自転車をそのままの状態では積めないの で、バラして、運んでもらうしかない。全ての荷物と自転車の合わせた重さは、 ゆうに40kgは越えていたに違いない。
荷物も整理できたところで、チェックインをし機内に乗り込んだ。しかし、 私自身かなり緊張していた。なんせ、飛行機に乗るのが生まれて初めてだった のですから・・・。
離陸の時間が迫り、飛行機が動きだした。シートベルトを締め、飛行機は離 陸のため、急加速をした。思わず、手と足を踏ん張ってしまった。初めての機 内で急加速は不意をつかれた感じだ。
そうこうしているうちに、車輪が中に浮き、飛行機は空を飛んでいた。離陸 して数分で、ようやく踏ん張りも落ち着き窓の外の風景を楽しむ余裕が出てき た。
那覇までは、1時間ちょっとのフライトだが、途中軽食とドリンクが出され、 ゆったりと沖縄での走りを思い描いていた。しかし、夏の気候柄か飛行機は乱 気流に入り、かなり揺れていた。初めてのフライトは、かなり気持ち悪いもの になった。そうこうして、すぐに着陸体制に入った。やっぱり力が入り緊張気 味。私の心配はよそに、飛行機は無事昼過ぎに着陸した。
那覇空港で荷物を受け、空港の外に出ると沖縄のムッとした暑さに頭がふら ついた。さすが南の島、暑さが九州のものと違っていた。空港の入口で、自転 車を組み立て荷物をサイドバッグに戻し、早速、まちに出た。
空港を出て、那覇のまちをひと回りした頃には、すでに夕方になっていたの で、早速、この日泊まれそうな公園を探した。結局、大きな公園であった奥武 山公園でテントを張ることにした。
次の日、南国の熱帯夜の洗礼を受けぐっすり眠れず、気が付いたら陽が登り はじめていた。前日の夕食に作ったお好み焼きの残りを食べ、昼食用のサンド イッチを作り、公園を出た。
那覇から一旦島南下し、時計と反対周りで島を走ることにした。滞在を3泊4 日と決めていたので、この日にある程度島を走る予定だったが、暑さでボーと してしまい、島を一周することはスケジュール的に無理があることが分かり、 諦めた。結局、名護市までの島半周程度を走ることにした。
島の南部のひめゆりの塔や平和祈念堂に寄り、沖縄に残る戦争の爪あとを感 じた。改めて、日本は戦争の悲劇を起していけないと思った。
途中、メーターが壊れ走行距離が測れなくなるトラブルがあったが、知念村、 中城村と順調に走り、この日は沖縄市の公園で泊まりことにした。
この日は、暑さでやられ、夕食を自炊する気力がかなったので、近くのスー パーでおにぎりと惣菜を買って食べた。
翌日、ぐっすりと眠れた。しかし、沖縄に来てから、お風呂に入っていなか ったので、なんとなく気持ちが悪い。朝食に、あんぱんやメロンパンなどのミ ニパンを8個食べ、暑くならないうちに出発した。
この日は、朝から選挙カーがうるさかった。どうやら週末に県知事選をひか えていたようで、候補者が朝からまわっていた。
具志川を通り、石川市に入ると英語の看板が目立つ。石川のまちに米軍キャ ンプがある関係で、車も「Yナンバー」の車が多く通っていた。
石川のまちを過ぎるとほとんど山道だったが、島の西に移り、ようやく辛さか ら解放された、折り返しの名護市には、11時に着き今度は那覇を目指し南下し た。途中、休憩がてら、許田の道の駅で弁当を買って食べた。
その後、万座のビーチで泳いだが、浅く、珊瑚の死骸が足にあたり泳ぎにく かった。一泳ぎした後、近くの万座毛に寄り、エメラルドグリーンの海を眺め ていた。
万座毛からは、かなり飛ばし首里まで走った。首里近くの坂は、本当に辛く、 急な坂道に愕然とした。
坂を登りきり、首里城が見えてきた。しかし、現存の首里城は復元だと知り、 がっかりした。さらに守礼門の小ささに、落胆した。首里を下り、再び空港近 くの奥武山公園に向かった。この日もこの公園にお世話になった。公園に向か う前に夕食を公園近くのそば屋でソーキそばを食べ済ました。
ソーキそばを堪能した後、公園でテントを張って寝ようとした時、外から 「ここで寝ない方がいいよ」という声に反応し、起きたら髭を生やした中年の おじさんがそこにはいた。ともかく、おじさんの言うとおりテントをずらし、 公園の東屋にテントを張った。例のごとく、旅の話をするといつものように、 話は盛り上がり、お酒が入った。おじさんは、元料理人で絵も描き、ボクシン グもやっていたようだ。
結局、このおじさんといろいろ話してしまい、朝5時ぐらいまで沖縄の泡盛 で盛り上がっていた。
●44日目 9/6(日)、晴れ、走行距離29.6km
加治木(鹿児島県)→鹿児島空港⇒那覇空港→奥武山公園(那覇市)
●45日目 9/7(月)、晴れ、走行距離5.8km(メーター壊れ。実際は+40km)
奥武山公園(那覇市)→具志頭→知念→中城→沖縄
●46日目 9/8(火)、晴れ時々にわか雨、走行距離89.1km
沖縄→石川→名護→嘉手納→首里→奥武山公園(那覇市)
⇒ここまでの走行距離4003.9km(メーター壊れ。実際は+40km)
<第19回へつづく・・・>
1時間程で空港に着き、早速カウンターで、那覇行き飛行機のチケットを買 った。そう、このとき、朝撮ったスピード写真が必要だったのです。国内線飛 行機には、「スカイメイト」という「学割」に近い制度があり、22歳未満で当 日券に限り、半額近くでチケットが買える。そう、この登録に証明写真が必要 だったのだ。スカイメイトの登録(1,000円)も無事済み、ピーク時期を過ぎ ていたこともあり、那覇行きのチケットも簡単にゲットした。
飛行機の便が手配できたところで、そそくさと自転車に積んでいた全ての荷 物をザックに詰め替え、自転車の前後輪の車輪を外し、輪行バッグに自転車を 詰めた。フェリーと違い、飛行機には自転車をそのままの状態では積めないの で、バラして、運んでもらうしかない。全ての荷物と自転車の合わせた重さは、 ゆうに40kgは越えていたに違いない。
荷物も整理できたところで、チェックインをし機内に乗り込んだ。しかし、 私自身かなり緊張していた。なんせ、飛行機に乗るのが生まれて初めてだった のですから・・・。
離陸の時間が迫り、飛行機が動きだした。シートベルトを締め、飛行機は離 陸のため、急加速をした。思わず、手と足を踏ん張ってしまった。初めての機 内で急加速は不意をつかれた感じだ。
そうこうしているうちに、車輪が中に浮き、飛行機は空を飛んでいた。離陸 して数分で、ようやく踏ん張りも落ち着き窓の外の風景を楽しむ余裕が出てき た。
那覇までは、1時間ちょっとのフライトだが、途中軽食とドリンクが出され、 ゆったりと沖縄での走りを思い描いていた。しかし、夏の気候柄か飛行機は乱 気流に入り、かなり揺れていた。初めてのフライトは、かなり気持ち悪いもの になった。そうこうして、すぐに着陸体制に入った。やっぱり力が入り緊張気 味。私の心配はよそに、飛行機は無事昼過ぎに着陸した。
那覇空港で荷物を受け、空港の外に出ると沖縄のムッとした暑さに頭がふら ついた。さすが南の島、暑さが九州のものと違っていた。空港の入口で、自転 車を組み立て荷物をサイドバッグに戻し、早速、まちに出た。
空港を出て、那覇のまちをひと回りした頃には、すでに夕方になっていたの で、早速、この日泊まれそうな公園を探した。結局、大きな公園であった奥武 山公園でテントを張ることにした。
次の日、南国の熱帯夜の洗礼を受けぐっすり眠れず、気が付いたら陽が登り はじめていた。前日の夕食に作ったお好み焼きの残りを食べ、昼食用のサンド イッチを作り、公園を出た。
那覇から一旦島南下し、時計と反対周りで島を走ることにした。滞在を3泊4 日と決めていたので、この日にある程度島を走る予定だったが、暑さでボーと してしまい、島を一周することはスケジュール的に無理があることが分かり、 諦めた。結局、名護市までの島半周程度を走ることにした。
島の南部のひめゆりの塔や平和祈念堂に寄り、沖縄に残る戦争の爪あとを感 じた。改めて、日本は戦争の悲劇を起していけないと思った。
途中、メーターが壊れ走行距離が測れなくなるトラブルがあったが、知念村、 中城村と順調に走り、この日は沖縄市の公園で泊まりことにした。
この日は、暑さでやられ、夕食を自炊する気力がかなったので、近くのスー パーでおにぎりと惣菜を買って食べた。
翌日、ぐっすりと眠れた。しかし、沖縄に来てから、お風呂に入っていなか ったので、なんとなく気持ちが悪い。朝食に、あんぱんやメロンパンなどのミ ニパンを8個食べ、暑くならないうちに出発した。
この日は、朝から選挙カーがうるさかった。どうやら週末に県知事選をひか えていたようで、候補者が朝からまわっていた。
具志川を通り、石川市に入ると英語の看板が目立つ。石川のまちに米軍キャ ンプがある関係で、車も「Yナンバー」の車が多く通っていた。
石川のまちを過ぎるとほとんど山道だったが、島の西に移り、ようやく辛さか ら解放された、折り返しの名護市には、11時に着き今度は那覇を目指し南下し た。途中、休憩がてら、許田の道の駅で弁当を買って食べた。
その後、万座のビーチで泳いだが、浅く、珊瑚の死骸が足にあたり泳ぎにく かった。一泳ぎした後、近くの万座毛に寄り、エメラルドグリーンの海を眺め ていた。
万座毛からは、かなり飛ばし首里まで走った。首里近くの坂は、本当に辛く、 急な坂道に愕然とした。
坂を登りきり、首里城が見えてきた。しかし、現存の首里城は復元だと知り、 がっかりした。さらに守礼門の小ささに、落胆した。首里を下り、再び空港近 くの奥武山公園に向かった。この日もこの公園にお世話になった。公園に向か う前に夕食を公園近くのそば屋でソーキそばを食べ済ました。
ソーキそばを堪能した後、公園でテントを張って寝ようとした時、外から 「ここで寝ない方がいいよ」という声に反応し、起きたら髭を生やした中年の おじさんがそこにはいた。ともかく、おじさんの言うとおりテントをずらし、 公園の東屋にテントを張った。例のごとく、旅の話をするといつものように、 話は盛り上がり、お酒が入った。おじさんは、元料理人で絵も描き、ボクシン グもやっていたようだ。
結局、このおじさんといろいろ話してしまい、朝5時ぐらいまで沖縄の泡盛 で盛り上がっていた。
●44日目 9/6(日)、晴れ、走行距離29.6km
加治木(鹿児島県)→鹿児島空港⇒那覇空港→奥武山公園(那覇市)
●45日目 9/7(月)、晴れ、走行距離5.8km(メーター壊れ。実際は+40km)
奥武山公園(那覇市)→具志頭→知念→中城→沖縄
●46日目 9/8(火)、晴れ時々にわか雨、走行距離89.1km
沖縄→石川→名護→嘉手納→首里→奥武山公園(那覇市)
⇒ここまでの走行距離4003.9km(メーター壊れ。実際は+40km)
<第19回へつづく・・・>
9/6~9/8のルート地図(クリックすると拡大された地図が出ます)
青い海と万座ビーチ<左>と守礼門にて<右>(万座毛、首里)