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2006/01/01 (Sun)

第4回 貴重な体験(?)と仲間との出会い <仙台~盛岡>

 前日、仙台駅にチャリを置き友人の家に着いた私は、ぐっすり寝た。しかし、 翌朝起きてテスト勉強する気はなく、そのまま友人と共に大学へ。
 テストは幸い簡単であった。でも、大学で会う友人には、出会うたびに「焼 けたね~」の一言。

 テストが終わって休む間もなく、大学の最寄駅から再び、青春18切符を使い、 チャリが置いてある仙台駅に向かった。上野駅からは、東北線の快速で北上し た。途中、黒磯駅で電車を乗り換え、仙台駅行きの鈍行電車に乗った。

 しかし、東京では晴れていた天気が急変し、雨が降り出した。そんな中、泉 崎という無人駅で雨が激しくなり、電車が止まった。しばらくして、「集中豪 雨のため運転を中止します」とのアナウンスが流れた。「こんなところで、止 めるな!」と叫びたかったが、こればっかりはどうしようもなかった。このあ と、無人駅で2時間電車は止まったままだった。

 雨が小雨になり、再び電車が動き出した時には、もう夜が更けていた。動き 出してしばらくして、またアナウンスが・・・。「この電車は福島駅止まりと します」これには、びっくり。「仙台駅に行かしてくれ~!」  しかし、そんな願いが通じたのか福島駅からはJRがタクシーを用意していた らしく、タクシーで仙台駅に向かった。タクシーで1時間半、高速道路を使っ ても80kmぐらいはある。もちろん、いままでこんな長くタクシーを乗ったこと がない。気になるタクシー代は、2万円を超えていたが、もちろんJRが払って くれた。
 そんなこんなで、仙台駅に着いたのは、深夜の3時を過ぎていた。

 仙台駅に付いたのが朝方であったので、チャリを置いている駐輪場は閉まっ ていた。その上、前日のアクシデントで熟睡できず、かなり眠くなった。駐輪 場が開くのが朝の6時。6時までどう時間を潰そうか悩んだが、結局、駅近くの ファミレスで朝食をとり、時間を潰した。

 6時になり、一目散に駐輪場に向かい、チャリに乗った。何か懐かしさを感 じた。駅を出て、まず「独眼流政宗」こと伊達政宗の銅像がある青葉城址公園 に向かった。伊達政宗の像は、馬に乗っていたが、私はチャリに乗って杜の都 の仙台のまちを見下ろした。
 仙台のまちをひと回りした後、この日の目標地を、国道4号線を北上しての 花巻までと決めていたが、なんとなく松島へ行ってみたくなり、気が付いた時 には、海岸沿いの道を走り始めていた。
 ほどなくして、松島に着いたが、天気も良くなかった影響で島が望めず、あ まり面白くなかった。

   国道4号線に戻ってから、雨がひどくなり、目標の花巻までを諦め、築館の 赤坂温泉を到着地とした。しかし、がんばって築館に着いたのだが、赤坂温泉 の位置を地元の人に聞くと、「もう、温泉はやってないよ」との答えが。雨で エネルギー奪われた上、衝撃の一言で、がっくりきた。仕方なく、残るエネル ギーを振り絞り、温泉があるという一関に向かった。

 一関に向かう途中、自転車に荷物を積んで走る青年を見かけた。どこまで行 くのかと尋ねたところ。「今日はこの辺で泊まろうかと考えていますが、お風 呂を探しているんですが・・・」と返事が返ってきた。一関にお風呂があると 伝え、せっかくだから「一緒に行きませんか?」と誘い、10kmほどの道をこの 青年と走った。
 2人で一関に着くとまちにあるスーパー銭湯のお風呂に入った。しかし、こ の青年はテントを持っていない上、雨で宿を探す気になれず、仕方なく私の狭 いテントをシェアーして一緒に寝ることになった。まちの中で公園を探せなか ったので、銭湯近くのガソリンスタンドの雨がしのげるところにテントを張っ た。

 翌日、彼とはすっかり仲良くなり、いろいろ自分のことを話し合うようにな った。
 なんでも、彼は、アメリカの大学に留学していて、夏休みで日本に戻って来 ていたそうだ。出身は、大阪で、兄貴と一緒に自転車で大阪から北海道へ旅を していたが、兄貴が名古屋あたりではぐれ、その後は一人で旅しているらしく、 数日前に兄貴と連絡が取れ、盛岡でまた合流するとのことだった。彼の事情を 聞いた上で、この日、私も目標を盛岡としていたので、今日も彼と一緒に盛岡 を目指すことになった。

 一関を出て、金色堂で有名な平泉の中尊寺に寄った。金色堂は、本当に金箔 で輝いていて、入場料800円を払った価値があった。中尊寺で、彼が兄貴と連 絡を取りたいとのことで、電話をかけていたが、状況を聞くと「兄貴がまた行 方不明や」と答えた。それで私が、「これからどうするんだ?」と聞くと、 「1人で北海道にいくわ」と返ったきた。彼が関西人だからいい加減なのか、 それとも何かの縁なのか分からないが、偶然であった彼と一緒に北海道に向か う運命になった。

 彼と北海道に向かうことになり、とりあえずこの日は、盛岡を目標にして走 っていると、途中、彼が女性2人と話していて止まっていた。「何か?」と聞 くと、「どこへ行くのですか?」と女性が聞いてきた。事情を説明すると「2 人の旅のことをラジオに今から紹介したいのですが、ラジオに出てくれません か?」と。「えっ、ラジオ?」、はっきり言って驚いた。もちろんラジオに出 るなんて生まれて初めてだ。

 この女性2人はどうやらアナンサーらしく、30分ほど打ち合わせをして、収 録をすることになった。収録といっても実は、生放送だったのだ。「智美と美 智子と明日もがんばって行こう!」との2人の台詞で生放送は始まった。その 後のやり取りは、緊張でよく覚えていないが、よくある街角リポートだ。スタ ジオの男性DJから、旅の予算を聞かれ、手持ちがあと17万円だった(正確には、 郵貯にもう10万円はあった)ので、「17万円です」と答えると、スタジオの男 性DJが「日本一周の旅、17万円なり!」と言ったことだけは印象に残る。たっ た5分間のラジオ出演だったが、貴重な体験だった。生放送だから、自分の声 がイヤーフォンから聞こえることが、変に感じた。

 2人のアナンサーと分かれる時、ラジオ局(ちなみに、このラジオ局は、IBC (岩手放送)ラジオ:関東圏のTBSラジオのローカル局でした)の記念ボール ペンをもらった。また、昨日から一緒に行動していた彼の名前が、ラジオ出演 の時に初めて、「マサ」だと知った。名前を気にしていなかったので、すっか り聞き忘れていたのだ。

 ラジオ出演のあと、盛岡まではあっと言う間に着き、例のごとく銭湯に入り、 汗を流し、予てからの願望であった、わんこそばを2人で食べに行った。「東 屋」というお店で、1食2,000円は高かったが、思い出のため涙をのんでわんこ そばに挑戦した。
 100杯を越えると賞状と手形をくれるらしく、それらがほしくなり、苦しみ ながらなんとか100杯を超え、115杯を食べた。(ちなみに、大人の男性で(嘘 っぽいが)平均50杯とのこと。)

 気持ち悪くなりながらも、近くの岩手公園でテントを張り、その日は寝た。 こうして、長い1日は終わった。

●5日目 7/29(火)、はれのち豪雨、走行距離0km
 日野市(東京都、友人宅)~大学(東京都)~豊田駅(東京都)+++
 福島駅(福島県)―仙台駅(宮城県)
●6日目 7/30(水)、くもりのち雨、走行距離113.3km
 仙台駅(宮城県)→松島(宮城県)→築館(宮城県)→一関(岩手県)
●7日目 7/31(金)、くもり時々雨、走行距離101.9km
 一関(岩手県)→平泉(岩手県)→北上(岩手県)→盛岡(岩手県)
  ⇒ここまでの、走行距離628.1km

<第5回へつづく・・・>

クリックすると拡大地図が出ます

7/29~7/31のルート地図(クリックすると拡大された地図が出ます)

伊達政宗像と私(宮城県仙台、青葉城址公園、1998年7月30日) IBCラジオのアナンサーお2人と(岩手県花巻周辺、1998年7月31日)

伊達正宗像<左>とIBCラジオのアナお2人<右>(宮城県仙台、岩手県花巻)

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