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第10回 道東をローカル電車で旅する <稚内~札幌>

 前日、礼文島から稚内のまちに戻り、森林公園のキャンプ場で再び泊まった。
 疲れからかこの日は朝ゆっくり7時ごろ起きた。礼文島に行く前に残してい た宗谷岬とノシャップ岬に行くことにした。朝食に前日の夕飯で作った。冷め た親子丼を温め、昼食用にハンバーグを焼き、ゆで卵を挟んだサンドイッチを 作っておいた。キャンプ場で洗濯物を干し、今までチャリにつけていたサイド バッグの荷物も置いて11時ごろノシャップ岬に向かった。

 ほどなくしてノシャップ岬に着いたが、観光地化していたので、あまり面白 みがない。ちょうど12時ごろだったので、食堂を覗くと、うに丼が3,000円と 法外な値段に驚いた(もちろん食べる気にはなれなかった)。簡単に食事をサ ンドイッチで済ませ、そそくさと写真を撮り、宗谷岬に向かった。
 宗谷岬に向かう途中、「うに丼1,000円」という看板が目についた。特に腹 が減っていた訳ではなく、さっきの3,000円と比べたら安いので、なんとなく 食べたくなって、看板の食堂に立ち寄った。うにの量は少なかったが、獲れた てなので、とろけるような口当たりでおいしかった。

 うにで元気をつけ、小1時間で最北限の地、宗谷岬に着いた。しかし、見渡 す限り、人、人・・・。ふと、近くのバス停の待合所に立ち寄ったら、壁にた くさんの落書きとノートが置いてあった。落書きやノートには、自転車やバイ クでここまで来た人のコメントが書いてあった。中には、私と同じようにチャ リで日本一周を果たし、ここがゴールだったという人のコメントも書いてあっ た。もちろん私は、同じようにノートに自分の足跡としてコメントを残した。
 観光客が落ち着いたところで、岬の記念碑の前で写真を撮ることにした。私 の前にいたライダーが三脚を立て、セルフタイマーで撮ろうとしていたので、 「撮りましょうか?」と尋ねると断られた。しばらくして、指を海の方を指し、 ポーズを決めシャッターが降りた。面白い格好だったので、周りの観光客が笑 っている。今度は私の番となったが、迷いもなく彼にシャッターを押すのを頼 んだ。ポーズは彼のを真似てチャリに乗って海を指した。周りからは笑いがあ ったが、気にせず調子に乗り、間宮林蔵ととも一緒に写真に収まった。

 日も暮れ始め、稚内のキャンプ場に戻った。夕食は、簡単に済まし、ふとチ ャリの後輪を見たら、タイヤが磨り減っていた。家を出てから2,000km近く走 ったので、だいぶくたびれてきたようだ。タイヤを心配しながらも、道東行き のスケジュールを考えていた。「北海道はいいところだが、すべて回っては横 浜に帰れない。道東は電車しかないか・・・」。そう決断した。

日本最北限の地にて(稚内市宗谷岬、1998年8月14日) 間宮林蔵の像と(稚内市宗谷岬、1998年8月14日)

日本最北限の地の記念碑<左>と間宮林蔵の像と<右>(稚内市宗谷岬)



 翌朝、稚内駅の一番電車に乗るため、5時に起きた。チャリに着けていたす べての荷物をザックに入れ替え、ザックを背負ったら重くて、びっくりした。 旅に出る前に量ったら、30kgであったが、なんだかんだで荷物が増え、おそら くそれを越えている。
 6:42発の名寄駅行きの普通電車に乗った。もちろん、青春18切符を使った。 北海道の普通電車は、大体、1両のワンマン電車で、「レールバス」といって も過言ではない。ゆっくりと電車で揺られ、車内で朝食を食べる。
 名寄駅からは旭川駅行きに乗り換えた。途中、通ってきた国道40号線を懐か しく眺めた。

 旭川駅では、少し待ち時間があったので、駅でかにめし弁当を買って、富良 野線の電車に乗った。富良野線の電車では、ボックス席で60代の老夫婦と一緒 になり、話した。老夫婦は、十勝岳にこれから登るようで、私を見て、「若い ころはこういうこと(私のように旅をすること)ができなかった」と話してく れた。しかし、旅で出会う人出会う人(特に年をとった人)は、私のような旅 をうらやましがってくれる。「がんばれ」となんとなく背中を押される。
 富良野駅では、次の電車まで2時間待ちだった。北海道では特急電車が優先 され、普通電車は極端に本数が少ないので乗り換え待ちの時間が結構長い。し かたなく、富良野のまちをぶらつき、昨日から気になっていた後輪のタイヤを 換えるため、自転車屋をまわった。しかし、お盆ということもあり、まわった 4軒とも休みだった。

 富良野駅からは、快速電車に乗り(青春18切符は快速電車も乗れます)、帯 広駅へ。快速電車と言っても、いままでと一緒の1両ワンマン電車だ。山の中 を走りぬけ、17時ぐらいに帯広駅に着いた。しかし、次の釧路駅行きの電車が 20時発だったので、3時間待つことになった。
 3時間どうやって時間を潰すか、考えたがともかく帯広のまちに出て自転車 屋を探したが、見つからなかった。しばらく、まちを歩いていると的屋や屋台 が並ぶ通りに来た。どうやら祭りがあるようだ。
 まちをひと回りし、夕食も済ましたところで、祭りは始まっていた。「平原 祭り」という祭りのようで、山車とともにいろいろな衣装をまとった踊り子が 踊っていた。太鼓の音も響き、「エンヤー、コラサッ、ドッコイ、コラサッ」 というかけ声が押し寄せる。団体で20ぐらい、個人でも祭りに参加していて、 衣装がとても個性的で、まるで年末の紅白歌合戦の某歌手の衣装を見ているよ うだった。

 祭りが盛り上がっているころ、私は釧路駅行きの電車に乗り、闇夜を走る電 車でウトウトした。釧路駅には、23時半に着き、駅近くの公園を探しテントを 張り、すぐ寝た。

 翌朝、起きたら雨が降っていた。寒い・・・。寒さで起きたと言った方がい い。やはり、道東の釧路は寒かった。朝食を食べるため、7時ごろ外へ出た。 幸い、泊まった公園の近くに朝市があったので、チャリを組み立て、寄ってみ た。まず、すし屋で1膳分のご飯を買い、おかずをいろんなお店で買った。カ ニ、イクラ、ホタテ、甘エビ、マグロを買い、カニの鉄砲汁も買った。朝から 豪華だったが、1,280円となり案外高くついてしまった。

 朝食を済まし、雨の中、釧路湿原へ向かった。しかし、寒さで泣きそうなく らいだった。道路の温度計を見ると「15℃」で、夏とは思えない。吐く息も白 い。冷たい雨の中のでの走りはつらく、2時間かけ市立の湿原の展望台に着い た。展望台からは、晴れていれば遠く湿原を見渡せ、鶴も見られるとのことだ ったが、雨で鶴どころか湿原もはっきり見えない。

 私は、釧路に来る前に、道東の週間天気をチェックしていたが、ずっと雨だ ったことにショックを受けていた。しかし、釧路に来て、やはりずっといても あまり天気が期待できないと感じ、この先の道東の旅を諦め、この日のうちに 札幌に向かうことにした。また、いつか道東に来ようと決めた。

 釧路駅に引き返す途中、ついに自転車屋を見つけたので、寄った。タイヤを ついでだから、スリットタイプのもにしようと思ったが、お店に置いてなかっ たので、結局ブロックタイヤを選び、面倒だったので、お店の人につけてもら った。タイヤを交換した後、当たり前だが、走りが軽くなった。
 タイヤを交換したこともあり、釧路駅15時発の札幌方面行きの電車に乗るこ とができた。今回は、乗り継ぎ時間が短く、札幌駅に着くようになっていた。 雨の中の走りで、ぐったりしていた私は、電車では終始ウトウト眠っていた。

 こうして、この日の夜、札幌のまちに着いた。宿は豊平公園にテントを張り 泊まった。

●21日目 8/14(金)、くもり時々晴れ、走行距離83.7km
 稚内(北海道)→ノシャップ岬(北海道)→宗谷岬(北海道)→稚内(北海道)
●22日目 8/15(土)、晴れのちくもり、走行距離0km
 稚内(北海道)+++富良野(北海道)+++帯広(北海道)+++釧路(北海道)
●23日目 8/16(日)、雨のちくもり、走行距離35.4km
 釧路(北海道)→釧路市湿原展望台(北海道)→釧路(北海道)+++
 滝川(北海道)+++札幌(北海道)
  ⇒ここまでの走行距離1865.5km

<第11回へつづく・・・>

クリックすると拡大地図が出ます

8/14~8/16のルート地図(クリックすると拡大された地図が出ます)


帯広の盆踊りでの踊り団体の1コマ(帯広市、1998年8月15日) 雨の釧路湿原(釧路市立湿原展望台、1998年8月16日)

帯広の盆踊りでの踊り団体の1コマ<左>と雨の釧路湿原<右>(帯広、釧路湿原)

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