第11回 北海道との別れと新たな船出 <札幌~新潟>
朝方、雨が降っていたようで、テントのフライシートが濡れていた。しかし、起きたころにはすっかり晴れていた。
ゆっくりと出発の準備を始め、羊が丘の方に向かった。登りが続き、朝の運動にはちょっときつかった。やっとのことで羊が丘に着いたが、お金を500円払わなければいけないことには驚いた。羊が丘には、有名なクラーク像があったので、写真を撮った。ちょっとふざけて、クラークさんと同じ格好でパチリ。ここにはジンギスカンのレストランがあったが、もちろんお金に余裕がなく諦めた。
羊が丘をまわったら昼になったので、大通り公園で昼食のスパゲッティーを茹でて食べた。昼食後は北大に向かった。北大では、ポプラ並木を歩き、ひと回り。時計台にも寄った。時計台は、なかなか見つからずやっと見つけたが、ビルの中にぽつんとあって、しかも工事中だった。これにはがっかりした。中には入れず残念。次は、サッポロビールの工場に向かった。見学時間ぎりぎりに着いた。見学は1時間ぐらいで、工場内はツアーで見学したが、3Dで浮き上がる劇仕立ての製造工程の解説案内には驚いた。
日も暮れはじめたころにはお腹がしていた。札幌に来たからには、夕食はラーメンを。ラーメン横丁という10数軒の店が並ぶ有名な場所に向かった。どの店も有名で、有名人の色紙が並んでいたが、ともかく店に入った。どの店に入ったか忘れたが、味噌ラーメンを頼んだ。でも、味がおいしのかよく分からなかった。
食後、風呂場を探すため、すぐさま近くにいた自転車に乗ったおばさんに聞いてみた。そうしたら、「付いて来て!」と言われお風呂屋まで案内してくれることになった。そのおばさんの後を必死で付いて行き、お風呂屋に着いたが生憎、休みだった。「あら」と言った感じだった。お風呂に入るのを諦めかけていた時、おばさんが今度は「会社に来ない?」と言うので、おばさんのご主人の会社でビールをご馳走になってしまった。
別れ際、夜景がきれだからとうことで、「旭山に行ってみたら」と勧められた。陽も落ちはじめ、山道を登り、ようやく旭山公園に着いた。地元のおばさんが勧める通り、札幌のまち一望でき、公園からの夜景がすごくきれいだった。夜景を見た後は、お風呂を探すため、すすきのに入り、何とか銭湯を見つけた。銭湯では、すすきのという土地柄か、ヤ○ザさんがいらっしゃいました。兄貴と舎弟といった感じの2人で、背中には刺青。別に害はないのだが、ちょっと緊張した。
お風呂に入った後、テントは近くの中島公園で張ったが、寝付こうとした時に、「この辺は危ないから気をつけつけな」という声が不意に外から聞こえてきた。テントの外を見ると、地元のおじさんがいた。いろいろ旅のことを話していくと、おじさんが横浜ベイスターズのファンのようで、横浜から来たというだけで、仲良くしてくれた。(ちなみにこの年は、横浜ベイスターズが優勝し、甲子園では松坂の活躍により横浜高校が優勝していた「横浜」の年でした。)お酒もいただき、寝る頃にはすっかり酔っ払っていた。
次の日は、前日のお酒が利いていたので、しばらく公園中で休み、気分がよくなってきたところで札幌のまちを出発した。
途中、「白い恋人」でおなじみの石屋製菓のチョコレート工場に寄った。工場では、「白い恋人」の製造過程を見学できたが、どちらかというと試食が目的だった。
2時間弱で小樽のまちに着いた。小樽では、有名な運河やオルゴール堂、硝子館、石原裕次郎記念館に寄った。特にお土産を買うでもなく、まちをぶらついた。石原裕次郎記念館では入館料が高く驚いたが、「西部警察」の撮影当時の写真などがあって、それなりに楽しめた。
ところで、小樽に着いてから北海道の旅をこれ以上続けるかどうか考えていた。考えた結果、私の旅は北海道だけで終わらせてはいけないと思い、北海道の旅をもうこれ以上続けないことを決めた。日本一周をする旅のスケジュールは大幅に遅れていた。予定では、もう本州を南下し、東北地方に着いていることになっていた。時間がないという焦りより、やっぱり南の島を目指さなければ意味がないと感じたからだ。この日、私は小樽からフェリーでの新潟行きを決めた。
フェリーは、明日の午前10:30に出発する。
次の日の出発を控え、フェリー乗り場近くのかつない臨海公園(キャンプは禁止だが)にテントを張って寝た。
次の日、起きて焦った。フェリーに乗るための持ち合わせのお金がないことに気が付いたからだ。大急ぎで朝食を食べ、まちの中心部の郵便局に駆け込んだ(実は、旅先のお金は足りなくなりと郵便局のATMで下ろしていた)。しかし、ATMは9時から開くので、早く着いても待ちぼうけをくらった。9時に一番乗りでATMでお金を下ろし、再びフェリー乗り場に向かった。幸い、10:30発の便には間に合い、フェリーに乗れた。
新日本海フェリーの船は長距離船として有名で、私にとっては海のホテルとてっもいい感じであった。とはいうものの、毎度の2等客室なので、寝場所はあまりよくない。10:30に小樽を出発したフェリーは18時間かけ、翌朝の5:30に新潟に着く。フェリーには、お風呂もありデッキに出れば、日本海の素晴らしい世界が広がっている。ちょっとした休養だったが、とてもいい時間を過した。
気持ちを入れ替え、本州の旅が再び始まる。そんなワクワク感で、夜を向かえた。
●24日目 8/17(月)、晴れ時々くもり、走行距離60.0㎞
豊平公園(札幌市)→市内観光(羊が丘、北大、旭山、すすきのほか)→
中島公園(札幌市)
●25日目 8/18(火)、晴れ時々くもり、走行距離57.7㎞
中島公園(札幌市)→小樽→市内観光(運河ほか)→
かつない臨海公園・フェリー乗り場(小樽市)
●26日目 8/19(水)、晴れのちくもり、走行距離0.0㎞
かつない臨海公園・フェリー乗り場(小樽市)~新潟(新潟県)
⇒ここまでの走行距離1983.2㎞
<第12回へつづく・・・>
ゆっくりと出発の準備を始め、羊が丘の方に向かった。登りが続き、朝の運動にはちょっときつかった。やっとのことで羊が丘に着いたが、お金を500円払わなければいけないことには驚いた。羊が丘には、有名なクラーク像があったので、写真を撮った。ちょっとふざけて、クラークさんと同じ格好でパチリ。ここにはジンギスカンのレストランがあったが、もちろんお金に余裕がなく諦めた。
羊が丘をまわったら昼になったので、大通り公園で昼食のスパゲッティーを茹でて食べた。昼食後は北大に向かった。北大では、ポプラ並木を歩き、ひと回り。時計台にも寄った。時計台は、なかなか見つからずやっと見つけたが、ビルの中にぽつんとあって、しかも工事中だった。これにはがっかりした。中には入れず残念。次は、サッポロビールの工場に向かった。見学時間ぎりぎりに着いた。見学は1時間ぐらいで、工場内はツアーで見学したが、3Dで浮き上がる劇仕立ての製造工程の解説案内には驚いた。
日も暮れはじめたころにはお腹がしていた。札幌に来たからには、夕食はラーメンを。ラーメン横丁という10数軒の店が並ぶ有名な場所に向かった。どの店も有名で、有名人の色紙が並んでいたが、ともかく店に入った。どの店に入ったか忘れたが、味噌ラーメンを頼んだ。でも、味がおいしのかよく分からなかった。
食後、風呂場を探すため、すぐさま近くにいた自転車に乗ったおばさんに聞いてみた。そうしたら、「付いて来て!」と言われお風呂屋まで案内してくれることになった。そのおばさんの後を必死で付いて行き、お風呂屋に着いたが生憎、休みだった。「あら」と言った感じだった。お風呂に入るのを諦めかけていた時、おばさんが今度は「会社に来ない?」と言うので、おばさんのご主人の会社でビールをご馳走になってしまった。
別れ際、夜景がきれだからとうことで、「旭山に行ってみたら」と勧められた。陽も落ちはじめ、山道を登り、ようやく旭山公園に着いた。地元のおばさんが勧める通り、札幌のまち一望でき、公園からの夜景がすごくきれいだった。夜景を見た後は、お風呂を探すため、すすきのに入り、何とか銭湯を見つけた。銭湯では、すすきのという土地柄か、ヤ○ザさんがいらっしゃいました。兄貴と舎弟といった感じの2人で、背中には刺青。別に害はないのだが、ちょっと緊張した。
お風呂に入った後、テントは近くの中島公園で張ったが、寝付こうとした時に、「この辺は危ないから気をつけつけな」という声が不意に外から聞こえてきた。テントの外を見ると、地元のおじさんがいた。いろいろ旅のことを話していくと、おじさんが横浜ベイスターズのファンのようで、横浜から来たというだけで、仲良くしてくれた。(ちなみにこの年は、横浜ベイスターズが優勝し、甲子園では松坂の活躍により横浜高校が優勝していた「横浜」の年でした。)お酒もいただき、寝る頃にはすっかり酔っ払っていた。
次の日は、前日のお酒が利いていたので、しばらく公園中で休み、気分がよくなってきたところで札幌のまちを出発した。
途中、「白い恋人」でおなじみの石屋製菓のチョコレート工場に寄った。工場では、「白い恋人」の製造過程を見学できたが、どちらかというと試食が目的だった。
2時間弱で小樽のまちに着いた。小樽では、有名な運河やオルゴール堂、硝子館、石原裕次郎記念館に寄った。特にお土産を買うでもなく、まちをぶらついた。石原裕次郎記念館では入館料が高く驚いたが、「西部警察」の撮影当時の写真などがあって、それなりに楽しめた。
ところで、小樽に着いてから北海道の旅をこれ以上続けるかどうか考えていた。考えた結果、私の旅は北海道だけで終わらせてはいけないと思い、北海道の旅をもうこれ以上続けないことを決めた。日本一周をする旅のスケジュールは大幅に遅れていた。予定では、もう本州を南下し、東北地方に着いていることになっていた。時間がないという焦りより、やっぱり南の島を目指さなければ意味がないと感じたからだ。この日、私は小樽からフェリーでの新潟行きを決めた。
フェリーは、明日の午前10:30に出発する。
次の日の出発を控え、フェリー乗り場近くのかつない臨海公園(キャンプは禁止だが)にテントを張って寝た。
次の日、起きて焦った。フェリーに乗るための持ち合わせのお金がないことに気が付いたからだ。大急ぎで朝食を食べ、まちの中心部の郵便局に駆け込んだ(実は、旅先のお金は足りなくなりと郵便局のATMで下ろしていた)。しかし、ATMは9時から開くので、早く着いても待ちぼうけをくらった。9時に一番乗りでATMでお金を下ろし、再びフェリー乗り場に向かった。幸い、10:30発の便には間に合い、フェリーに乗れた。
新日本海フェリーの船は長距離船として有名で、私にとっては海のホテルとてっもいい感じであった。とはいうものの、毎度の2等客室なので、寝場所はあまりよくない。10:30に小樽を出発したフェリーは18時間かけ、翌朝の5:30に新潟に着く。フェリーには、お風呂もありデッキに出れば、日本海の素晴らしい世界が広がっている。ちょっとした休養だったが、とてもいい時間を過した。
気持ちを入れ替え、本州の旅が再び始まる。そんなワクワク感で、夜を向かえた。
●24日目 8/17(月)、晴れ時々くもり、走行距離60.0㎞
豊平公園(札幌市)→市内観光(羊が丘、北大、旭山、すすきのほか)→
中島公園(札幌市)
●25日目 8/18(火)、晴れ時々くもり、走行距離57.7㎞
中島公園(札幌市)→小樽→市内観光(運河ほか)→
かつない臨海公園・フェリー乗り場(小樽市)
●26日目 8/19(水)、晴れのちくもり、走行距離0.0㎞
かつない臨海公園・フェリー乗り場(小樽市)~新潟(新潟県)
⇒ここまでの走行距離1983.2㎞
<第12回へつづく・・・>
8/17~8/19のルート地図(クリックすると拡大された地図が出ます)
クラーク博士像と私<左>と夕焼けの港に浮かぶフェリー<右>(札幌、小樽)