第16回 縄文杉と島のおっちゃんとの出会い <屋久島その1>
鹿児島の水族館の玄関でぐっすり眠った次の日の朝は、快晴だった。港から
は、煙を出す桜島も見えていた。この日、朝の第一便のフェリーに乗り、世界
遺産の島、屋久島を目指した。
屋久島へは、世界遺産であるから行きたいこともあったが、樹齢が数千年と いう縄文杉に見に行くことが一番の目的であった。鹿児島湾の佐多岬を抜ける とフェリーの揺れも強さを増し、太平洋の大海原に出て来たことを感じていた。
太平洋の波に揺られること4時間、ついに世界遺産の屋久島が見えて来た。九州最高峰の山、宮之浦岳が大きく、出迎えた。
フェリーを降り、早速、港近くのスーパーで、昼食を買うことにした。フェ リーの中で縄文杉を見に行くルートを考えていたが、島に着いたその日のうち に、縄文杉に着くことが難しいと分かり、山の途中の山小屋で1泊することに した。そのため、夕食はもちろんのこと、翌日の朝と昼食の食材も買って行く ことにした。しかし、縄文杉までの道は、途中まではチャリで登れるが、ほと んどがチャリが入れない登山道だ。ザックを背負っての山登りなので、重くな るのを避けるため、荷物に残っていたスパゲティーとお米と親子丼のモトとふ りかけで何とか済ますことにした。
買うものを選び終わり、山から戻って来て島を1周するので、山以外にもう1 泊するため、レジで店員さんに「島にキャンプ場はありませんか?」と聞いた。 そうしたら、たまたまレジに並んでいた地元のおっちゃんが、「俺のところの キャンプ場で泊まっていけよ!」と声を掛けてくれた。どこに泊まるかは縄文 杉を見て帰ってきたら決めることにしたので、このおっちゃんの連絡先を聞き、 山を降りたら、連絡することにして、このおっちゃんと別れた。
買い物も済まし、縄文杉への道を走りはじめた。縄文杉へは、いくつかルー トがあったが、チャリで出きるだけ近づきたかったので、途中まで林道がある ルートを選んだ。しかし、屋久島の山が急峻なように、道もかなりの急勾配。 500m近くを一気に登る。その上、工事中の箇所が多く、結構体力を消耗した。
2時間くらいかけ、やっとの思いで、林道の最後(白谷広場)まで登った。 ここには、車で来る登山客用に駐車場があった。駐車場にチャリを置き、必要 な荷物をザックに詰め、念のため柔軟体操をしてから登山道に入った。この日 は、途中の山小屋で1泊するため、2時間程度の登山の予定だった。しかし、途 中、さすが雨の多い島ということもあり、川はきれいで澄み、杉の木と苔のコ ントラストにしばらく、そこに佇み、自然の神秘を感じていた。
夕方前には、この日に泊まる白谷山荘に着いた。山荘といっても従業員がい て暖かい布団があるようなものではく、誰でもタダで利用できる山小屋だ。こ の日は、私以外に大学の山岳グループが泊まっていた。彼らは、テントを持参 していたようで、小屋の近くでテントを張っていた。自分もテントを一応持っ てきていたものの、せっかくだから小屋の中で寝ようと、結局寝袋に包まり、 小屋の中で一晩を明かした。
翌朝、山岳グループが出発した後、朝食(親子丼)を作り、炊いて余ったご 飯とふりかけで、昼食用のおにぎりをつくった。朝食を食べ終わり、私も小屋 を出た。
この日は、縄文杉を見た後、来た道を一気に下り、島の海岸沿いのキャンプ 場で泊まることにした。考えると結構ハードな登山コースだ。
この屋久島には縄文杉のほかに、樹齢千年を遥かに越える天然の杉がたくさ んある。途中、切り倒されたまま残る巨木株のウィルソン株や大王杉などの巨 木を見ることができた。また、昔(江戸時代から戦後まで)に杉を運んだトロ ッコの軌道敷の道を歩いた。トロッコは現在、杉を運び出すためではなく、観 光用などとして時々走っているようで、一度だけ、観光客らしき人を乗せた、 トロッコが下っていくのに遭遇し、慌てて道を避けた。
雨が多い、屋久島で有名だか、私が「晴れ男」なのかこの日も快晴で、登山 には最高の陽気だった。
何度か休憩を取りながら、ついに目的の縄文杉の近くまで着いた。しかし、 残念なことに、縄文杉の周りには柵が設けられ、触ることが禁止されていた。 実は縄文杉は、世界遺産登録後、観光客の激増によって、縄文杉の根が踏まれ たり、近くの土が踏まれ固くなったため、木の保護のため、柵が付けられたよ うだ。
しかし、その巨木は静に何かを語りかけるように、そこに存在していた。そ う、人の存在がちっぽけになるほど、昔からこの島に住んでいる長老のように・ ・・。
縄文杉を見た後、後ろ髪が引かれる思いで、来た道を引き返した。下りは、 もちろんペースが速くなり、思った以上に早く下山できた。登山口の駐車場に 置きっ放しになっていたチャリに1日ぶりに乗り、500mの山を一気に下った。 登りと違い、海を眺めながらのあっと言う間のダウンヒル。疲れもぶっ飛ぶ。
宮之浦のまちに再び戻ってきた時、山を登る前、スーパーで会ったおっちゃ んのキャンプ場に泊めてもらうため、聞いていた連絡先に、電話をしてみた。 そうすると、おっちゃんが出て、今日キャンプ場に泊まりたいから場所を教え てほしいことを伝えると、「キャンプ場はいま人がいないから、俺の家に泊ま らないか?」と答えてくれた。これには、もちろん私は「OK!」と答えた。
おっちゃんに家の場所を聞き、早速、チャリで向かった。おっちゃんの家は、 島の南の方の集落にあり、30分ほどでおっちゃんの家に着いた。
家のベルを鳴らすと、おっちゃんが笑顔で出迎えてくれた。家に着いた頃に は、もう夕方になっていた。そんこともあり、「まあ、夕食でも食べな」とい うことで、すぐにご飯を用意してくれた。おっちゃんは、どうやら一人で暮ら しているようで、自分で料理を作って、「準備している間に、風呂に入れ!」 と、お風呂にも入れてくれた。おっちゃんの親切さには、うれしかったが、お 風呂にもびっくりした。なんと今ではほとんど見ることがない、五右衛門風呂 だった。薪で沸かすもので、すでにお湯が沸いていた。もちろん、生まれて初 めて五右衛門風呂に入ったが、なんとなく熱そうだと思っていたが、入ってみ るとそうでもなく、決して広くはないのだが体の芯から、温まる感じがした。
お風呂から上がると、島の魚の刺身(島の特産のトビウオの子「トビコ?」) をはじめ豪華な料理が並んでいた。すっかり、遠慮を忘れ、ご馳走になった。 そして、もちろんアルコールも入った。
結局、この日は、おっちゃんと自分の旅について語り、酔っ払いながらおっ ちゃんの家の布団に入って眠った。
●40日目 9/2(水)、晴れ時々くもり、走行距離14.5km
鹿児島(鹿児島県)~宮之浦(屋久島)→白谷広場・・白谷山荘
●41日目 9/3(木)、晴れ、走行距離26.7km
白谷山荘・・楠川分れ・・縄文杉・・楠川分れ・・白谷山荘・・白谷広場→
宮之浦→一湊
⇒ここまでの走行距離3733.4km
<第17回へつづく・・・>
屋久島へは、世界遺産であるから行きたいこともあったが、樹齢が数千年と いう縄文杉に見に行くことが一番の目的であった。鹿児島湾の佐多岬を抜ける とフェリーの揺れも強さを増し、太平洋の大海原に出て来たことを感じていた。
太平洋の波に揺られること4時間、ついに世界遺産の屋久島が見えて来た。九州最高峰の山、宮之浦岳が大きく、出迎えた。
フェリーを降り、早速、港近くのスーパーで、昼食を買うことにした。フェ リーの中で縄文杉を見に行くルートを考えていたが、島に着いたその日のうち に、縄文杉に着くことが難しいと分かり、山の途中の山小屋で1泊することに した。そのため、夕食はもちろんのこと、翌日の朝と昼食の食材も買って行く ことにした。しかし、縄文杉までの道は、途中まではチャリで登れるが、ほと んどがチャリが入れない登山道だ。ザックを背負っての山登りなので、重くな るのを避けるため、荷物に残っていたスパゲティーとお米と親子丼のモトとふ りかけで何とか済ますことにした。
買うものを選び終わり、山から戻って来て島を1周するので、山以外にもう1 泊するため、レジで店員さんに「島にキャンプ場はありませんか?」と聞いた。 そうしたら、たまたまレジに並んでいた地元のおっちゃんが、「俺のところの キャンプ場で泊まっていけよ!」と声を掛けてくれた。どこに泊まるかは縄文 杉を見て帰ってきたら決めることにしたので、このおっちゃんの連絡先を聞き、 山を降りたら、連絡することにして、このおっちゃんと別れた。
買い物も済まし、縄文杉への道を走りはじめた。縄文杉へは、いくつかルー トがあったが、チャリで出きるだけ近づきたかったので、途中まで林道がある ルートを選んだ。しかし、屋久島の山が急峻なように、道もかなりの急勾配。 500m近くを一気に登る。その上、工事中の箇所が多く、結構体力を消耗した。
2時間くらいかけ、やっとの思いで、林道の最後(白谷広場)まで登った。 ここには、車で来る登山客用に駐車場があった。駐車場にチャリを置き、必要 な荷物をザックに詰め、念のため柔軟体操をしてから登山道に入った。この日 は、途中の山小屋で1泊するため、2時間程度の登山の予定だった。しかし、途 中、さすが雨の多い島ということもあり、川はきれいで澄み、杉の木と苔のコ ントラストにしばらく、そこに佇み、自然の神秘を感じていた。
夕方前には、この日に泊まる白谷山荘に着いた。山荘といっても従業員がい て暖かい布団があるようなものではく、誰でもタダで利用できる山小屋だ。こ の日は、私以外に大学の山岳グループが泊まっていた。彼らは、テントを持参 していたようで、小屋の近くでテントを張っていた。自分もテントを一応持っ てきていたものの、せっかくだから小屋の中で寝ようと、結局寝袋に包まり、 小屋の中で一晩を明かした。
鹿児島港からの桜島<左>と屋久島の苔に覆われた渓谷<右>(鹿児島、屋久島)
翌朝、山岳グループが出発した後、朝食(親子丼)を作り、炊いて余ったご 飯とふりかけで、昼食用のおにぎりをつくった。朝食を食べ終わり、私も小屋 を出た。
この日は、縄文杉を見た後、来た道を一気に下り、島の海岸沿いのキャンプ 場で泊まることにした。考えると結構ハードな登山コースだ。
この屋久島には縄文杉のほかに、樹齢千年を遥かに越える天然の杉がたくさ んある。途中、切り倒されたまま残る巨木株のウィルソン株や大王杉などの巨 木を見ることができた。また、昔(江戸時代から戦後まで)に杉を運んだトロ ッコの軌道敷の道を歩いた。トロッコは現在、杉を運び出すためではなく、観 光用などとして時々走っているようで、一度だけ、観光客らしき人を乗せた、 トロッコが下っていくのに遭遇し、慌てて道を避けた。
雨が多い、屋久島で有名だか、私が「晴れ男」なのかこの日も快晴で、登山 には最高の陽気だった。
何度か休憩を取りながら、ついに目的の縄文杉の近くまで着いた。しかし、 残念なことに、縄文杉の周りには柵が設けられ、触ることが禁止されていた。 実は縄文杉は、世界遺産登録後、観光客の激増によって、縄文杉の根が踏まれ たり、近くの土が踏まれ固くなったため、木の保護のため、柵が付けられたよ うだ。
しかし、その巨木は静に何かを語りかけるように、そこに存在していた。そ う、人の存在がちっぽけになるほど、昔からこの島に住んでいる長老のように・ ・・。
縄文杉を見た後、後ろ髪が引かれる思いで、来た道を引き返した。下りは、 もちろんペースが速くなり、思った以上に早く下山できた。登山口の駐車場に 置きっ放しになっていたチャリに1日ぶりに乗り、500mの山を一気に下った。 登りと違い、海を眺めながらのあっと言う間のダウンヒル。疲れもぶっ飛ぶ。
宮之浦のまちに再び戻ってきた時、山を登る前、スーパーで会ったおっちゃ んのキャンプ場に泊めてもらうため、聞いていた連絡先に、電話をしてみた。 そうすると、おっちゃんが出て、今日キャンプ場に泊まりたいから場所を教え てほしいことを伝えると、「キャンプ場はいま人がいないから、俺の家に泊ま らないか?」と答えてくれた。これには、もちろん私は「OK!」と答えた。
おっちゃんに家の場所を聞き、早速、チャリで向かった。おっちゃんの家は、 島の南の方の集落にあり、30分ほどでおっちゃんの家に着いた。
家のベルを鳴らすと、おっちゃんが笑顔で出迎えてくれた。家に着いた頃に は、もう夕方になっていた。そんこともあり、「まあ、夕食でも食べな」とい うことで、すぐにご飯を用意してくれた。おっちゃんは、どうやら一人で暮ら しているようで、自分で料理を作って、「準備している間に、風呂に入れ!」 と、お風呂にも入れてくれた。おっちゃんの親切さには、うれしかったが、お 風呂にもびっくりした。なんと今ではほとんど見ることがない、五右衛門風呂 だった。薪で沸かすもので、すでにお湯が沸いていた。もちろん、生まれて初 めて五右衛門風呂に入ったが、なんとなく熱そうだと思っていたが、入ってみ るとそうでもなく、決して広くはないのだが体の芯から、温まる感じがした。
お風呂から上がると、島の魚の刺身(島の特産のトビウオの子「トビコ?」) をはじめ豪華な料理が並んでいた。すっかり、遠慮を忘れ、ご馳走になった。 そして、もちろんアルコールも入った。
結局、この日は、おっちゃんと自分の旅について語り、酔っ払いながらおっ ちゃんの家の布団に入って眠った。
●40日目 9/2(水)、晴れ時々くもり、走行距離14.5km
鹿児島(鹿児島県)~宮之浦(屋久島)→白谷広場・・白谷山荘
●41日目 9/3(木)、晴れ、走行距離26.7km
白谷山荘・・楠川分れ・・縄文杉・・楠川分れ・・白谷山荘・・白谷広場→
宮之浦→一湊
⇒ここまでの走行距離3733.4km
<第17回へつづく・・・>
9/2~9/3のルート地図(クリックすると拡大された地図が出ます)
縄文杉への軌道敷<左>と縄文杉<右>(屋久島楠川分れ付近、縄文杉)