第1回 アメリカ西部の国立公園への憧れ
大学2年の夏に、65日間約6,000kmに及ぶ日本一周の旅を終えた私は、いつも
と変わらない大学生活を送っていた。
しかし、チャリの旅に味を占めた私は、次の行き先をすでに日本からアメリ カと決めていた。なぜ、アメリカであったかというと、ただ英語が通じる国で、 他の言葉を勉強する必要がなかったからという単純な理由からであった。
行き先をアメリカと決めたのは、日本一周をした翌年(つまり1999年)の正 月頃だったと思う。とりあえず、英語が通じるところということで、決めたが はっきりいって向こうのネイティブの人と会話ができるような自信はなかった ので、ラジオ放送の英会話を自習し始めた。
そうこうしているうちに2月になり春休みになった。そんな中、ボランティ ア活動をしていたYMCAの職員が、アメリカの国立公園のツアーガイド研修に向 かうということを聴き付けた。なんでも、ユネスコの世界遺産に登録され、世 界で初めての国立公園となったイエローストーン国立公園でガイドの研修をす るということ。このとき初めて、アメリカの国立公園を知った。
その彼女の話を聞いている内に、実際にイエローストーンやほかの国立公園 に行ってみたくなった。しかし、アメリカの国立公園の情報についてはほとん ど無知であったので、まずは「○○の歩き方」のアメリカの国立公園編を本屋 で買うことにした。本屋やインターネットで調べていくうちに、一段とアメリ カの国立公園への憧れが強くなっていった。
イエローストーンなどのアメリカの国立公園は、独特の公園管理システムを 持っていて、特にレンジャーと呼ばれる公園職員の魅力はすばらしい。公園内 の動植物の生態系や地形、さらに歴史や文化を分かりやすく教えてくれるプロ グラムを公園内で提供してくれる。そんな、ことも調べていくうちにわかって きた。
しかし、実際、海外旅行をしたことがない私にとって、アメリカの旅はかな りのチャレンジだった。まず、パスポートをとり、アメリカの地図を買い、自 転車で走るルートを決めたり、いろいろなことが何もかも初めてで、未知の世 界だった。
アメリカの道路はどんなものか、道路の標識はどういうものか、泊まる場所 はあるのか、野宿はできるのか、1日どれくらい走れるのか、などまったく手 探りで、情報かき集め、調べた。
結果、アメリカ西海岸でも北にある都市で、比較的安全なシアトルから入り、 そこから東へ向かい、ロッキー山脈にぶつかったら、南下し、アメリカを縦断 するように、ラスベガスまで自転車で走るというルートに決めた。
ルートが決まり、早速、旅行代理店のH.○.S.でチケットを買った。しかし、 チケットのあまりの高さ(ラスベガスからの帰路が、ロサンゼルス経由しかな く、合計で約17万円)に面を食らったが、期間やルートを変えることはしたく はなかったので、なくなく妥協した。
チケットをとってからは、とても時間が早く感じられた。7月に入り、大学 の夏休み前のテストやレポート課題の時期となり、旅の準備がままならないと きもあったが、なんとか、テストや課題を片付け、アメリカへの出発前日とな った。アメリカへの旅立つ前日は、日本一周の時とは、まったく違い、緊張も せず、夜はぐっすり眠れた。
1999年7月27日、こうして、私はアメリカ西部の旅に向かう日を迎えたのだ った。
<第2回へつづく・・・>
しかし、チャリの旅に味を占めた私は、次の行き先をすでに日本からアメリ カと決めていた。なぜ、アメリカであったかというと、ただ英語が通じる国で、 他の言葉を勉強する必要がなかったからという単純な理由からであった。
行き先をアメリカと決めたのは、日本一周をした翌年(つまり1999年)の正 月頃だったと思う。とりあえず、英語が通じるところということで、決めたが はっきりいって向こうのネイティブの人と会話ができるような自信はなかった ので、ラジオ放送の英会話を自習し始めた。
そうこうしているうちに2月になり春休みになった。そんな中、ボランティ ア活動をしていたYMCAの職員が、アメリカの国立公園のツアーガイド研修に向 かうということを聴き付けた。なんでも、ユネスコの世界遺産に登録され、世 界で初めての国立公園となったイエローストーン国立公園でガイドの研修をす るということ。このとき初めて、アメリカの国立公園を知った。
その彼女の話を聞いている内に、実際にイエローストーンやほかの国立公園 に行ってみたくなった。しかし、アメリカの国立公園の情報についてはほとん ど無知であったので、まずは「○○の歩き方」のアメリカの国立公園編を本屋 で買うことにした。本屋やインターネットで調べていくうちに、一段とアメリ カの国立公園への憧れが強くなっていった。
イエローストーンなどのアメリカの国立公園は、独特の公園管理システムを 持っていて、特にレンジャーと呼ばれる公園職員の魅力はすばらしい。公園内 の動植物の生態系や地形、さらに歴史や文化を分かりやすく教えてくれるプロ グラムを公園内で提供してくれる。そんな、ことも調べていくうちにわかって きた。
しかし、実際、海外旅行をしたことがない私にとって、アメリカの旅はかな りのチャレンジだった。まず、パスポートをとり、アメリカの地図を買い、自 転車で走るルートを決めたり、いろいろなことが何もかも初めてで、未知の世 界だった。
アメリカの道路はどんなものか、道路の標識はどういうものか、泊まる場所 はあるのか、野宿はできるのか、1日どれくらい走れるのか、などまったく手 探りで、情報かき集め、調べた。
結果、アメリカ西海岸でも北にある都市で、比較的安全なシアトルから入り、 そこから東へ向かい、ロッキー山脈にぶつかったら、南下し、アメリカを縦断 するように、ラスベガスまで自転車で走るというルートに決めた。
ルートが決まり、早速、旅行代理店のH.○.S.でチケットを買った。しかし、 チケットのあまりの高さ(ラスベガスからの帰路が、ロサンゼルス経由しかな く、合計で約17万円)に面を食らったが、期間やルートを変えることはしたく はなかったので、なくなく妥協した。
チケットをとってからは、とても時間が早く感じられた。7月に入り、大学 の夏休み前のテストやレポート課題の時期となり、旅の準備がままならないと きもあったが、なんとか、テストや課題を片付け、アメリカへの出発前日とな った。アメリカへの旅立つ前日は、日本一周の時とは、まったく違い、緊張も せず、夜はぐっすり眠れた。
1999年7月27日、こうして、私はアメリカ西部の旅に向かう日を迎えたのだ った。
<第2回へつづく・・・>