第2回 日本一周の旅のはじまり
私にとって、「日本一周」は未知の世界であった。日数はどれだけかかり、
お金はどれくらい必要か、ルートをどう決めたら良いのか・・・など思い立っ
たものの、まったく検討がつかなかった。ただ「自分にできないことはない!」
という自信に似た確信だけはあった。
まず、日本一周を思い立った大学1年の冬に旅費をどう工面するか考えた。 その当時、アルバイトはしていたものの、人並みにも楽しい大学生活を送っ ていたためか生活費の出費は多く、貯金は十数万円ほどしかなかった。
しかし、大学には2ヶ月近くの春休みがあり、旅費を捻出するため時給がい いアルバイトをすることになった。私がその春休みにしていたアルバイトとは、 完成前の新築マンションの内外装のクリーニングをするというもので、いわゆ るゼネコンの現場仕事という、一昔前でいう3K(キツイ、汚い、暗い)の部 類に入るアルバイトだった。もちろんその分、時給はいい訳で、月に20万円を 稼ぐことができた。
(その後、5、6種類のアルバイトを経験したが、このアルバイトが一番高時給 だった。ところで、1ヶ月で20万円ということは2ヶ月で40万円という計算だが、 その後夏の日本一周の旅までに20万円が生活費でなくなっていた・・・)
また、運が良く私の大学に自己推薦で応募ができる奨学金制度があった。 本来、この奨学金は、社会的な学外活動を積極的にしている人が対象であった。 私はYMCAでボランティアリーダーをしていたので、これを自己推薦し、駄目で 元々で応募したら、なんとみごと審査が通り、30万円の奨学金をいただけるこ ととなった。しかし、特にYMCAでの活動は、お金がかからないものであったの で、いただいた奨学金を推薦した活動のためではなく、日本一周の旅の旅費に 当てた。これも、本来、奨学金は学費を出していただいた親に渡すべきもので あるが、親を説得し旅の資金に当てた。
こうして、旅費は、50万円近く用意できた。
次に、ルートと日程を心配した。
「大学生の特権は、『休みが多いこと』」と思っていたが、日本一周となると、 まるまる2ヶ月ある夏休みも短いものとなる。北は北海道、南は沖縄を2ヶ月で まわるスケジュールを組むには、1日100km以上走らなければならなかった。 「非常にタイトだ」、そう思ったのは、実際に日本地図を見ながら走るルート を考え、予定日を地図に書き込んでいる時だった。
ただ、「予定はあくまでも未定」ということで、実際、その予定のルートと 日程にはこだわらなかった。「行けるところまで行く」、そんな考えしかなか った。そうこうしているうちに、はじめは夏の暑さを避けるため北海道へ、涼 しくなる8月後半から沖縄に向かう、自宅→北海道→沖縄→自宅の北周りのル ートに決めた。
もう一つ気になることが自転車と旅の装備だった。
特に、車種にこだわりがなかったので、普段乗っているマウンテンバイク (MTB)をそのまま使うことにした。今思えば、そこら辺のディスカウントス トアーで売っていそうなもので、よく日本一周ができたと思うほどそんなたい そうなものではなかった。
しかし、装備にはかなり悩んだ。できるだけ軽くしないと自転車が重くなる。 けれども、いろいろもって行きたい。そんな板ばさみに悩んだ。しかし、装備 選びには、自信があった。高校時代、山岳部であったため、キャンプ道具には それなりに精通していたし、中学時代からのチャリの旅での経験で必要なもの と不必要なもののある程度の検討はついていた。
だが、絶対的な自信を持って装備の選択をしたのにもかかわらず、出発前に 重さを量ったら、30kg(もちろん自転車を除いてだが)だった。これには、び っくり。はっきりいって、装備すべて載せた自転車は、自転車ではない。 「原動機がない大型のバイク」だ。けれども、旅には手ぶらはありえないのだ からしかたがない。
こうして楽しい日本一周の旅の準備をすすめ、地獄のような大学の試験を終 え、大学2年の夏、1998年7月25日の朝、頭を坊主にした私は、まだ夜が明けき らない横浜の自宅を出発した。
<第3回へつづく・・・>
まず、日本一周を思い立った大学1年の冬に旅費をどう工面するか考えた。 その当時、アルバイトはしていたものの、人並みにも楽しい大学生活を送っ ていたためか生活費の出費は多く、貯金は十数万円ほどしかなかった。
しかし、大学には2ヶ月近くの春休みがあり、旅費を捻出するため時給がい いアルバイトをすることになった。私がその春休みにしていたアルバイトとは、 完成前の新築マンションの内外装のクリーニングをするというもので、いわゆ るゼネコンの現場仕事という、一昔前でいう3K(キツイ、汚い、暗い)の部 類に入るアルバイトだった。もちろんその分、時給はいい訳で、月に20万円を 稼ぐことができた。
(その後、5、6種類のアルバイトを経験したが、このアルバイトが一番高時給 だった。ところで、1ヶ月で20万円ということは2ヶ月で40万円という計算だが、 その後夏の日本一周の旅までに20万円が生活費でなくなっていた・・・)
また、運が良く私の大学に自己推薦で応募ができる奨学金制度があった。 本来、この奨学金は、社会的な学外活動を積極的にしている人が対象であった。 私はYMCAでボランティアリーダーをしていたので、これを自己推薦し、駄目で 元々で応募したら、なんとみごと審査が通り、30万円の奨学金をいただけるこ ととなった。しかし、特にYMCAでの活動は、お金がかからないものであったの で、いただいた奨学金を推薦した活動のためではなく、日本一周の旅の旅費に 当てた。これも、本来、奨学金は学費を出していただいた親に渡すべきもので あるが、親を説得し旅の資金に当てた。
こうして、旅費は、50万円近く用意できた。
次に、ルートと日程を心配した。
「大学生の特権は、『休みが多いこと』」と思っていたが、日本一周となると、 まるまる2ヶ月ある夏休みも短いものとなる。北は北海道、南は沖縄を2ヶ月で まわるスケジュールを組むには、1日100km以上走らなければならなかった。 「非常にタイトだ」、そう思ったのは、実際に日本地図を見ながら走るルート を考え、予定日を地図に書き込んでいる時だった。
ただ、「予定はあくまでも未定」ということで、実際、その予定のルートと 日程にはこだわらなかった。「行けるところまで行く」、そんな考えしかなか った。そうこうしているうちに、はじめは夏の暑さを避けるため北海道へ、涼 しくなる8月後半から沖縄に向かう、自宅→北海道→沖縄→自宅の北周りのル ートに決めた。
もう一つ気になることが自転車と旅の装備だった。
特に、車種にこだわりがなかったので、普段乗っているマウンテンバイク (MTB)をそのまま使うことにした。今思えば、そこら辺のディスカウントス トアーで売っていそうなもので、よく日本一周ができたと思うほどそんなたい そうなものではなかった。
しかし、装備にはかなり悩んだ。できるだけ軽くしないと自転車が重くなる。 けれども、いろいろもって行きたい。そんな板ばさみに悩んだ。しかし、装備 選びには、自信があった。高校時代、山岳部であったため、キャンプ道具には それなりに精通していたし、中学時代からのチャリの旅での経験で必要なもの と不必要なもののある程度の検討はついていた。
だが、絶対的な自信を持って装備の選択をしたのにもかかわらず、出発前に 重さを量ったら、30kg(もちろん自転車を除いてだが)だった。これには、び っくり。はっきりいって、装備すべて載せた自転車は、自転車ではない。 「原動機がない大型のバイク」だ。けれども、旅には手ぶらはありえないのだ からしかたがない。
こうして楽しい日本一周の旅の準備をすすめ、地獄のような大学の試験を終 え、大学2年の夏、1998年7月25日の朝、頭を坊主にした私は、まだ夜が明けき らない横浜の自宅を出発した。
<第3回へつづく・・・>
日本一周の旅、出発前の私とチャリ(横浜の自宅前、1998年7月25日)