第20回 清流四万十川を遡る <都城~高知>
この日、朝の目覚めは早かった。なぜか、5時前には目が覚めていた。
この日は、飛ばせる気がしていた。四国まで約200km。行けるだろうか・・・。
都城のまちを朝早く出発し、宮崎までの約50kmはやや登り気味ではあったが、 朝早かったことで、涼しいうちに走りきり、8時半には宮崎に着いた。
宮崎を過ぎてからは、ほとんど平らで、順調に20km/hのペースで走り、昼の 1時には延岡に着いた。
昼食を延岡のスーパーでとり、暑い時間帯に体力の消耗を避けるためとハイ ペースであったので少し体を休ませるために、昼寝もとった。昼寝で気分をす っきりさせ、2時半ごろ延岡のまちを出た。
途中、北川の道の駅で、宮崎で抜いた自転車に乗った男の人に出会った。話 して見ると、福岡の大学の4年生(その後、お手紙を頂き、実は福岡の公務員 だったと申告いただいた)で、10日間で九州を一周しているとのこと。九州に 来てからなのか、それとも9月になったからなのか、自転車に乗って旅をして いる人にめっきり会わなくなった。
彼と別れてからは、ちょっと飛ばし、佐伯までの約60kmを疲れながらも走っ た。佐伯からは、四国の宿毛行きのフェリーがあった。
私は、日程が大幅に遅れていたこと(予定では、すでに四国を一周し広島に 着いているころであった)を考慮に入れ、再び関門海峡を越えるルートを半ば 諦め、四国を目指した。佐伯に着いたのが、夕方6時をまわっていたので、も うこの日の便はないだろうと思い、明日のためにフェリーの時間を確認しよう と、フェリー乗り場に向かった。しかし、幸いなことに夜7時ちょうどの便が あったので、思い切って乗った。
こうして、私は九州をあとにして、四国に入った。宿毛に着いたは、10時。 もう、外は真っ暗。暗くまわりがよくわからなかったので、この日は、宿毛の フェリーターミナルで寝た。自転車の走行距離のメーターは、200kmを越え、 202kmを指していた。
次の日、フェリーターミナルをあとにし、国道56号線を東に向かった。
朝の出だしは、快調で道もほとんど平ら。四万十川河口の中村のまちに着いた。 四国では、四万十川に沿って走りたいと思っていたので、中村の町からは四万 十川沿いの国道441号線に入った。
途中、道が狭くなったり、古い民家が立ち並ぶ所になったりと、随分今まで とは趣の違う風景になっていった。しかし、必ず脇には四万十川が流れ、川風 が吹く。
四万十川で有名なのが、沈下橋。普段は橋そのもので川に浸かっているわけ ではなく、大雨で増水した時に、川に浸かってしまうが欄干がないため、橋は 流されにくい橋だ。実際、橋をみると欄干はなく、車が1台通るのがやっとの 橋で、増水でも流されずいたこともあり、かなり年期が入ったものも多かった。
そんな四万十川の流れといくつものの沈下橋を横目に見ながら、川を上って いった。中村のまちから西土佐村を抜け、3時前には四万十川中流の十和村に 入り、この日は早めに十和村のキャンプ場に泊まることにした。
このキャンプ場は、四万十川の中州の河原にあり、いつでも泳げる。なので、 早速川で泳いだ。しかし、清流と呼ばれている四万十川の中流でも、やや濁っ ていた。小さい魚は、見つけられたが鮎は見つけられなかった。
そうこうして午後の時間がゆっくり過ぎていき、夕食にお好み焼きを作る。 沖縄での失敗を生かし、今度はうまくいった。
夜は、静かな川の音を聞きながら眠りについた。
翌朝、まわりの山が日の出を遅らせていたため、日があまり射さないうち涼 しい内に出発をした。この日の目標は、高知までの約100km。
実は、翌日大学のゼミの合宿が始まるため、24時間後には宿のある伊豆に行 かなければならなかった。合宿を欠席することも考えていたが、私がゼミ長で あり合宿先の宿との折衝をしていたため、休むことは無理だった。旅の出発当 初、仙台からテストのため電車で一旦東京に戻ったが、今回は高知空港の飛行 機を使い、東京に向かうことにした。
十和村から大正町を過ぎ、窪川のまちからは四万十川と別れ、海岸沿いに走 った。海岸に出てからは、須崎、土佐のまちを順調に通過するが、すでに日は 落ち始め、坂本竜馬の銅像があることで有名な桂浜に着いた頃には、日が沈み 掛けていた。
薄暗い中、桂浜の坂本竜馬の銅像の前で記念写真を撮り、少しでもこの日の 内に高知空港に近づこうと思い、高知の市街地をバイパスし、東へ向かった。
夜の7時を過ぎ、もうあたりは真っ暗で、空港に近づくと規制のためか建物 もなく街灯も少なく、一層怖さを感じた。
南国市で夕食と銭湯でお風呂を済ませ、どうにか空港のそばまで来たが、翌 朝の便で東京に向かうため、近くの物部川橋の下でテントを張り、夜を明かし た。
●49日目 9/11(金)、晴れ時々曇り、走行距離202km
都城(宮崎県)→宮崎(宮崎県)→日向(宮崎県)→延岡(宮崎県)→
佐伯(大分県)~宿毛(高知県)
●50日目 9/12(土)、晴れ、走行距離?(メーター壊れ。実際は+90km?)
宿毛(高知県)→中村(高知県)→西土佐(高知県)→十和(高知県)
●51日目 9/13(日)、晴れ、走行距離?(メーター壊れ。実際は+120km?)
十和(高知県)→窪川(高知県)→須崎(高知県)→南国(高知県)
⇒ここまでの走行距離4238.8km(メーター壊れで、実際は+300km?)
<第21回へつづく・・・>
この日は、飛ばせる気がしていた。四国まで約200km。行けるだろうか・・・。
都城のまちを朝早く出発し、宮崎までの約50kmはやや登り気味ではあったが、 朝早かったことで、涼しいうちに走りきり、8時半には宮崎に着いた。
宮崎を過ぎてからは、ほとんど平らで、順調に20km/hのペースで走り、昼の 1時には延岡に着いた。
昼食を延岡のスーパーでとり、暑い時間帯に体力の消耗を避けるためとハイ ペースであったので少し体を休ませるために、昼寝もとった。昼寝で気分をす っきりさせ、2時半ごろ延岡のまちを出た。
途中、北川の道の駅で、宮崎で抜いた自転車に乗った男の人に出会った。話 して見ると、福岡の大学の4年生(その後、お手紙を頂き、実は福岡の公務員 だったと申告いただいた)で、10日間で九州を一周しているとのこと。九州に 来てからなのか、それとも9月になったからなのか、自転車に乗って旅をして いる人にめっきり会わなくなった。
彼と別れてからは、ちょっと飛ばし、佐伯までの約60kmを疲れながらも走っ た。佐伯からは、四国の宿毛行きのフェリーがあった。
私は、日程が大幅に遅れていたこと(予定では、すでに四国を一周し広島に 着いているころであった)を考慮に入れ、再び関門海峡を越えるルートを半ば 諦め、四国を目指した。佐伯に着いたのが、夕方6時をまわっていたので、も うこの日の便はないだろうと思い、明日のためにフェリーの時間を確認しよう と、フェリー乗り場に向かった。しかし、幸いなことに夜7時ちょうどの便が あったので、思い切って乗った。
こうして、私は九州をあとにして、四国に入った。宿毛に着いたは、10時。 もう、外は真っ暗。暗くまわりがよくわからなかったので、この日は、宿毛の フェリーターミナルで寝た。自転車の走行距離のメーターは、200kmを越え、 202kmを指していた。
次の日、フェリーターミナルをあとにし、国道56号線を東に向かった。
朝の出だしは、快調で道もほとんど平ら。四万十川河口の中村のまちに着いた。 四国では、四万十川に沿って走りたいと思っていたので、中村の町からは四万 十川沿いの国道441号線に入った。
途中、道が狭くなったり、古い民家が立ち並ぶ所になったりと、随分今まで とは趣の違う風景になっていった。しかし、必ず脇には四万十川が流れ、川風 が吹く。
四万十川で有名なのが、沈下橋。普段は橋そのもので川に浸かっているわけ ではなく、大雨で増水した時に、川に浸かってしまうが欄干がないため、橋は 流されにくい橋だ。実際、橋をみると欄干はなく、車が1台通るのがやっとの 橋で、増水でも流されずいたこともあり、かなり年期が入ったものも多かった。
そんな四万十川の流れといくつものの沈下橋を横目に見ながら、川を上って いった。中村のまちから西土佐村を抜け、3時前には四万十川中流の十和村に 入り、この日は早めに十和村のキャンプ場に泊まることにした。
このキャンプ場は、四万十川の中州の河原にあり、いつでも泳げる。なので、 早速川で泳いだ。しかし、清流と呼ばれている四万十川の中流でも、やや濁っ ていた。小さい魚は、見つけられたが鮎は見つけられなかった。
そうこうして午後の時間がゆっくり過ぎていき、夕食にお好み焼きを作る。 沖縄での失敗を生かし、今度はうまくいった。
夜は、静かな川の音を聞きながら眠りについた。
翌朝、まわりの山が日の出を遅らせていたため、日があまり射さないうち涼 しい内に出発をした。この日の目標は、高知までの約100km。
実は、翌日大学のゼミの合宿が始まるため、24時間後には宿のある伊豆に行 かなければならなかった。合宿を欠席することも考えていたが、私がゼミ長で あり合宿先の宿との折衝をしていたため、休むことは無理だった。旅の出発当 初、仙台からテストのため電車で一旦東京に戻ったが、今回は高知空港の飛行 機を使い、東京に向かうことにした。
十和村から大正町を過ぎ、窪川のまちからは四万十川と別れ、海岸沿いに走 った。海岸に出てからは、須崎、土佐のまちを順調に通過するが、すでに日は 落ち始め、坂本竜馬の銅像があることで有名な桂浜に着いた頃には、日が沈み 掛けていた。
薄暗い中、桂浜の坂本竜馬の銅像の前で記念写真を撮り、少しでもこの日の 内に高知空港に近づこうと思い、高知の市街地をバイパスし、東へ向かった。
夜の7時を過ぎ、もうあたりは真っ暗で、空港に近づくと規制のためか建物 もなく街灯も少なく、一層怖さを感じた。
南国市で夕食と銭湯でお風呂を済ませ、どうにか空港のそばまで来たが、翌 朝の便で東京に向かうため、近くの物部川橋の下でテントを張り、夜を明かし た。
●49日目 9/11(金)、晴れ時々曇り、走行距離202km
都城(宮崎県)→宮崎(宮崎県)→日向(宮崎県)→延岡(宮崎県)→
佐伯(大分県)~宿毛(高知県)
●50日目 9/12(土)、晴れ、走行距離?(メーター壊れ。実際は+90km?)
宿毛(高知県)→中村(高知県)→西土佐(高知県)→十和(高知県)
●51日目 9/13(日)、晴れ、走行距離?(メーター壊れ。実際は+120km?)
十和(高知県)→窪川(高知県)→須崎(高知県)→南国(高知県)
⇒ここまでの走行距離4238.8km(メーター壊れで、実際は+300km?)
<第21回へつづく・・・>
9/11~9/13のルート地図(クリックすると拡大された地図が出ます)
坂本竜馬像と私(高知市桂浜)