第23回 ゴール間近の受難!<備前~大阪>
前日、台風のためほとんど進めなかった分、この日は、飛ばして大阪まで行
こうと予定を立てた。しかし、台風が過ぎてもぱっとしない天気。何か嫌な予
感・・・。そんな思いで、朝食をかじり、日生のまちを出た。
日生から海沿いに走り、赤穂、相生のまちを抜け、再び国道2号線に戻った。 姫路の手前あたりから国道2号線がバイパスだらけの道(一部有料道路で自転 車も通れない道もあった)になり、やや遠回りをするところが多くなってきた。
国道2号線の道に少し戸惑いながらも順調に明石のまちに入り、横目で瀬戸 内海を眺めながら、明石海峡大橋の下をくぐった。気が付けば神戸のまちにな り、「今日は大阪までいけそうだ」とかなり調子づいていた。しかし、そんな 時に限って何か起こるのだ・・・。
神戸・須磨海浜公園の近くに差し掛かり、「大阪に着いたら何しようか。や っぱり、たこ焼を食べて、通天閣に行って・・・」、そんな考えごとをしてい た時、事故は起きた。
信号のない交差点。左手には、団地へと続く小さな道。何気なく、すーと直 進をしたら、私の右横から車が接近。私はとっさに左にハンドルを切ったが、 間に合わず、車にぶつかり、次の瞬間、私の体はチャリから飛んでいた。一瞬、 頭が真っ白になった。でも、すぐさま、意識はあり死んでないことが分かった。 私は、しばらく、倒れたその場を離れることはできなかったが、自分の足で立 った。
この事故は、お互いの前方不注意と言えばそれで終わりだが、俗にいう左折 の巻き込みだ。左折の車の運転手からは、真横やや後ろの私が死角に入り、私 もぼーとして、車のウインカーを見ていなかったのだ。
幸いにして、頭は打っておらず、傷も腕と足の擦り傷で済んだ。しかしなが ら、ぶつかった衝撃で車のドアは凹み、私のチャリの前輪が曲がっていた。ま もなくして、車の運転手が呼んだ警察官によって、実況見分と事情聴取が行な われた。
今まで自転車で車と事故ったことはなく、今回の旅もかなり慎重に走ってい たに・・・。事故の様子から警察官は、示談にしたらどうか言ってきた(一応、 頭が気になるから病院は行ったほうがいいとも言っていたが)。私も、気が動 転してか怪我が思ったよりたいしたことがなかったのか、結局、示談の提案を のみ、車の運転手と話し合い、保険の請求をお互いしないことにした。私のチ ャリの前輪の曲がりも、ガタガタが残るもののどうにか直し、車の運転手と別 れた。
その後、私は事故ったショックと、チャリの前輪が気になり、この日、大阪 に行くことを諦め、近くの須磨海浜公園で休むことにした。海浜公園をひと回 りし、芝生のいい場所でテントを張り、近くのスーパーで夕食を買った。しか し、事故のショックとチャリのことが気になり、まるっきり眠れなかった。
次の日、ほとんど寝れなかった状態で、公園を後にした。
朝出発前、昨日から気にしていたチャリの前輪をチェックしたら、やはりと言 うか不安は的中し、空気は抜け、とても走れる状態ではなかった。しかも、予 備のチューブも切らしていたので、自転車に修理に出さなければ直らないこと に気が着いた。
しかし、自転車屋は近くになく、また朝からは自転車はやっていないので、 前輪がパンクした状態で東へと走り出した。ただ、人が乗って走るだけでも負 荷がかかるのに、パンクした状態の上に、さらに荷物が載るとなると、ペダル をこいで進むのは不可能なのである。
私はパンクしたチャリを押して、時にはパンクした前輪を浮かせながら、歩 き始めた。チャリを押すこと2時間ほど兵庫駅近くの自転車を見つけ、前輪の ホイールごと交換してもらった。
交換してもらった前輪はタイヤの新しくなったので、朝の苦労がうそのよう に快調に走れるようになった。
こうして、事故のショックから私もチャリ立ち直り、あっという間に兵庫県 を越え、大阪に入った。大阪では、たこ焼きも食べ、通天閣にも行って・・・ と思っていたが、事故のため、予定が狂い、さらに市内の地図もしっかり確か めていなかったので、道頓堀に行くのがやっとだった。
結局、道頓堀の有名なグリコの看板をバックに写真を撮り、近くの屋台でた こ焼きを夕食にして、テントは大阪城公園の入口にあった芝生の上で張り、夜 を明かした。
大阪からゴールの横浜の自宅まであと、600km。旅の終わりを感じると、急 に家に早く帰りたくなってきた。もう気が付けば、旅のゴールは間近・・・。
●61日目 9/23(水)、曇り時々雨、走行距離101.2km
日生(岡山県)→相生(兵庫県)→姫路(兵庫県)→明石(兵庫県)→
神戸(兵庫県)
●62日目 9/24(木)雨のち曇り、走行距離53.3km
神戸(兵庫県)→尼崎(兵庫県)→大阪(大阪府)
⇒ここまでの走行距離4425.4km(メーター壊れなどで、実際は+970km?)
<第24回へつづく・・・>
日生から海沿いに走り、赤穂、相生のまちを抜け、再び国道2号線に戻った。 姫路の手前あたりから国道2号線がバイパスだらけの道(一部有料道路で自転 車も通れない道もあった)になり、やや遠回りをするところが多くなってきた。
国道2号線の道に少し戸惑いながらも順調に明石のまちに入り、横目で瀬戸 内海を眺めながら、明石海峡大橋の下をくぐった。気が付けば神戸のまちにな り、「今日は大阪までいけそうだ」とかなり調子づいていた。しかし、そんな 時に限って何か起こるのだ・・・。
神戸・須磨海浜公園の近くに差し掛かり、「大阪に着いたら何しようか。や っぱり、たこ焼を食べて、通天閣に行って・・・」、そんな考えごとをしてい た時、事故は起きた。
信号のない交差点。左手には、団地へと続く小さな道。何気なく、すーと直 進をしたら、私の右横から車が接近。私はとっさに左にハンドルを切ったが、 間に合わず、車にぶつかり、次の瞬間、私の体はチャリから飛んでいた。一瞬、 頭が真っ白になった。でも、すぐさま、意識はあり死んでないことが分かった。 私は、しばらく、倒れたその場を離れることはできなかったが、自分の足で立 った。
この事故は、お互いの前方不注意と言えばそれで終わりだが、俗にいう左折 の巻き込みだ。左折の車の運転手からは、真横やや後ろの私が死角に入り、私 もぼーとして、車のウインカーを見ていなかったのだ。
幸いにして、頭は打っておらず、傷も腕と足の擦り傷で済んだ。しかしなが ら、ぶつかった衝撃で車のドアは凹み、私のチャリの前輪が曲がっていた。ま もなくして、車の運転手が呼んだ警察官によって、実況見分と事情聴取が行な われた。
今まで自転車で車と事故ったことはなく、今回の旅もかなり慎重に走ってい たに・・・。事故の様子から警察官は、示談にしたらどうか言ってきた(一応、 頭が気になるから病院は行ったほうがいいとも言っていたが)。私も、気が動 転してか怪我が思ったよりたいしたことがなかったのか、結局、示談の提案を のみ、車の運転手と話し合い、保険の請求をお互いしないことにした。私のチ ャリの前輪の曲がりも、ガタガタが残るもののどうにか直し、車の運転手と別 れた。
その後、私は事故ったショックと、チャリの前輪が気になり、この日、大阪 に行くことを諦め、近くの須磨海浜公園で休むことにした。海浜公園をひと回 りし、芝生のいい場所でテントを張り、近くのスーパーで夕食を買った。しか し、事故のショックとチャリのことが気になり、まるっきり眠れなかった。
次の日、ほとんど寝れなかった状態で、公園を後にした。
朝出発前、昨日から気にしていたチャリの前輪をチェックしたら、やはりと言 うか不安は的中し、空気は抜け、とても走れる状態ではなかった。しかも、予 備のチューブも切らしていたので、自転車に修理に出さなければ直らないこと に気が着いた。
しかし、自転車屋は近くになく、また朝からは自転車はやっていないので、 前輪がパンクした状態で東へと走り出した。ただ、人が乗って走るだけでも負 荷がかかるのに、パンクした状態の上に、さらに荷物が載るとなると、ペダル をこいで進むのは不可能なのである。
私はパンクしたチャリを押して、時にはパンクした前輪を浮かせながら、歩 き始めた。チャリを押すこと2時間ほど兵庫駅近くの自転車を見つけ、前輪の ホイールごと交換してもらった。
交換してもらった前輪はタイヤの新しくなったので、朝の苦労がうそのよう に快調に走れるようになった。
こうして、事故のショックから私もチャリ立ち直り、あっという間に兵庫県 を越え、大阪に入った。大阪では、たこ焼きも食べ、通天閣にも行って・・・ と思っていたが、事故のため、予定が狂い、さらに市内の地図もしっかり確か めていなかったので、道頓堀に行くのがやっとだった。
結局、道頓堀の有名なグリコの看板をバックに写真を撮り、近くの屋台でた こ焼きを夕食にして、テントは大阪城公園の入口にあった芝生の上で張り、夜 を明かした。
大阪からゴールの横浜の自宅まであと、600km。旅の終わりを感じると、急 に家に早く帰りたくなってきた。もう気が付けば、旅のゴールは間近・・・。
●61日目 9/23(水)、曇り時々雨、走行距離101.2km
日生(岡山県)→相生(兵庫県)→姫路(兵庫県)→明石(兵庫県)→
神戸(兵庫県)
●62日目 9/24(木)雨のち曇り、走行距離53.3km
神戸(兵庫県)→尼崎(兵庫県)→大阪(大阪府)
⇒ここまでの走行距離4425.4km(メーター壊れなどで、実際は+970km?)
<第24回へつづく・・・>
9/23~9/24のルート地図(クリックすると拡大された地図が出ます)
道頓堀のグリコの看板前で変なポーズ(大阪市)