第24回 日本一周の旅、ゴールへ!<大阪~横浜>
前日、ほとんど大阪の街中を見ることができず、大阪城公園の芝生で一夜を
過し、朝を迎えた。
大阪から横浜までの約600kmを3日間で走ることを、この日の朝決めた。この 日の内に、名古屋まで行ければいいと思い、私は大阪城公園を出発した。
天気は相変わらず、冴えず雨模様・・・。
大阪からは、横浜を目指しひたすら国道1号線を東へ向かうだけ。
大阪から国道1号線を北西に向かい、京都には昼前に着いた。京都には中学校・ 高校と修学旅行で2度も訪れ、大体市内の観光地は見てまわっていたので、市 内で一休憩をしたが時間をとっての観光はしなかった。
休みを取り、京都の清水寺脇の峠を越えたら、すぐ琵琶湖のほとりの大津に 入った。琵琶湖に沿って走る区間は短かったが、なんとなくいままで同じよう に海に沿って走っているような気分になった。
琵琶湖とも別れを告げ、滋賀県と三重県の境となる鈴鹿の峠を目指した。
しかし、この鈴鹿の峠までの道がだらだらとした登り坂で、なおかつ止まな い雨で大分苦しめられた。
鈴鹿の峠をようやく越したら、反対に下りの道なのであっという間に四日市 のまちに着いた。
四日市のまちも順調に走っていたが、桑名の手前で後輪の空気が抜け始め桑 名のまちに入る手前でとうとうタイヤに空気がない状態にまでになっていた。 どうやら後輪のタイヤの溝がかなり磨り減り、チューブのパンクを招いたよう だ。予備のチューブも切らしていたため、近くのショッピングセンターでタイ ヤとチューブを買い、後輪を新品に入れ替えた。
そんなこんなで、タイヤの交換作業が済んだ頃には、時刻はすでに夕方の6 時を回っていた。
この日、名古屋までいければと思ったが、ちょっと手前の桑名で泊まること にした。タイヤを替えてからは、桑名のまちで銭湯を見つけお風呂に入ってか ら、テントが張れそうな公園を探した。程度のいい公園が見つかりスーパーで 買った夕食を食べ、早めに寝た。
翌日、桑名のまちを出て、名古屋の中心部をバイパスする国道23号線を東に 走った。
木曽川など大きな川を橋で越え、再び国道1号線に戻った。ここからまた、 国道1号線をひたすら東に走った。岡崎、豊橋を越え、静岡県に入った。
浜名湖のあたりは、高校生の時、飛騨高山への旅の帰りに走った道と同じな ので、「ここで休んだな~」と思い出すこともあり、なんとなく懐かしくなっ た。
浜松を過ぎ、高校の時の旅では、海沿いに御前崎を通るルートを走ったが、 今回はできるだけ最短距離で走るためそのまま国道1号線を走った。
しかし、浜松から静岡までの国道1号線はバイパスとなる箇所が多く、時に は自転車が通れない自動車専用道路となるところもあった。しかし、雨でほと んど標識が見えずらくなっていたことやかなり飛ばしていたこともあり、その まま自動車専用道路を走ってしまった。
スイスイとバイパスも走り、夕方近くになったので、藤枝のまちでこの日は 泊まることにした。浜松からのバイパスの走りも手伝ってか、この日の走行距 離は180kmを越えた。
藤枝のまちではテントが張れそうな藤枝駅前の公園を見つけたところで、近 くのスーパー銭湯を見つけお風呂に入った。
旅も残すところあと1日・・・。旅を出たとき、どうなることやらと思った が、無事に家に帰れそうだ。でも、もっと旅を続けていたいが、家にも早く帰 りたい。そんなことを思うと、寝袋に入ってからも寝れなかった。
結局、ほとんど眠れず翌朝を迎えた。旅の最後の日となるこの日は、最後で ありながら一番ハードなコースとなった。なぜなら、横浜の自宅までの距離が 200km近くある上、天下の険と言われる箱根の峠を越える道だからだ。旅の最 後に相応しく、走り甲斐のある道だ・・・。
眠れないことが幸いして、藤枝を6時前には出ていた。
天気は朝から雨。しかし、走りは順調。気が着けば、静岡、富士を抜け、昼 前ごろには沼津に入っていた。沼津近くの三島からは箱根への山道が続く。そ う、箱根は天下の険と言われるくらい急な登りが続く峠だ。
三島の定食屋でとんかつ定食を頼み、腹ごしらえをして、天下の険に挑んだ。 三島から箱根峠までは約15km。言うまでもなくほとんど上り坂。雨も影響して 漕いで進むにはかなり辛い。
幸い暑くなかった分、体力は消耗せず1時間半程度で峠に着いた。峠を越え、 国道1号線の最高地点を越すと後はひたすら下り。登りの苦労がここで報われ る。しかし、雨が無情にも下りの心地よい気分を半減させた。さらに、週末と 言うことも箱根から帰る車の渋滞で側道を大型バスでふさがれ、私のチャリも 渋滞にはまる場面もあった。
どうにか箱根を越え、小田原に入り馴染みの景色が目に入ってくるともう、 帰ってきた感じで懐かしくなった。
小田原からは、海沿いを走り、平塚、藤沢と抜けた藤沢に入った時にはもう 夕方の6時を過ぎていた。藤沢からは、大阪から走ってきた国道1号線から離れ、 真っ直ぐ北へ向かう国道467号線を自宅方面へ向かった。
雨と夜の暗さで視界が悪いのだが、ここまで来ると家のゴールまで目と鼻の 先。まったく苦にならない。
大和市に入ってからは、中原街道に乗り換え、自宅まで数キロとなる道を旅 のいろいろなことを思い出しながら走った。雨と一緒に旅をしたと言ってもい いくらい、雨に降られる日が多かったが、本当に無事に帰れたことが一番のう れしさだった。出発の時は、最悪、死を覚悟していたがそんなことが昔のこと に思えた。
そんな見慣れた道を30分走り、ついに自宅に着いた。雨の中、家族が出迎え てくれた。「何より無事でよかった」と両親は久々にみる我が子を随分丁寧に 扱ってくれたことがとても印象的だった。
・・・こうして、横浜の自宅を出発してから65日間、約6,000kmに及ぶ日本 一周の旅は終わりを迎えた・・・。
●63日目 9/25(金)、雨時々曇り、走行距離166.3km
大阪(大阪府)→京都(京都府)→大津(滋賀県)→四日市(三重県)→
桑名(三重県)
●64日目 9/26(土)曇り、走行距離183.1km
桑名(三重県)→岡崎(愛知県)→豊橋(愛知県)→磐田(静岡県)→
藤枝(静岡県)
●65日目 9/27(日)雨時々曇り、走行距離190.0km
藤枝(静岡県)→静岡(静岡県)→沼津(静岡県)→小田原(神奈川県)→
平塚(神奈川県)→自宅(横浜市保土ヶ谷区)
⇒ここまでの走行距離4964.4km(メーター壊れなどで、実際は+970km?)
⇒全走行距離約6,000km!
<第25回へつづく・・・>
大阪から横浜までの約600kmを3日間で走ることを、この日の朝決めた。この 日の内に、名古屋まで行ければいいと思い、私は大阪城公園を出発した。
天気は相変わらず、冴えず雨模様・・・。
大阪からは、横浜を目指しひたすら国道1号線を東へ向かうだけ。
大阪から国道1号線を北西に向かい、京都には昼前に着いた。京都には中学校・ 高校と修学旅行で2度も訪れ、大体市内の観光地は見てまわっていたので、市 内で一休憩をしたが時間をとっての観光はしなかった。
休みを取り、京都の清水寺脇の峠を越えたら、すぐ琵琶湖のほとりの大津に 入った。琵琶湖に沿って走る区間は短かったが、なんとなくいままで同じよう に海に沿って走っているような気分になった。
琵琶湖とも別れを告げ、滋賀県と三重県の境となる鈴鹿の峠を目指した。
しかし、この鈴鹿の峠までの道がだらだらとした登り坂で、なおかつ止まな い雨で大分苦しめられた。
鈴鹿の峠をようやく越したら、反対に下りの道なのであっという間に四日市 のまちに着いた。
四日市のまちも順調に走っていたが、桑名の手前で後輪の空気が抜け始め桑 名のまちに入る手前でとうとうタイヤに空気がない状態にまでになっていた。 どうやら後輪のタイヤの溝がかなり磨り減り、チューブのパンクを招いたよう だ。予備のチューブも切らしていたため、近くのショッピングセンターでタイ ヤとチューブを買い、後輪を新品に入れ替えた。
そんなこんなで、タイヤの交換作業が済んだ頃には、時刻はすでに夕方の6 時を回っていた。
この日、名古屋までいければと思ったが、ちょっと手前の桑名で泊まること にした。タイヤを替えてからは、桑名のまちで銭湯を見つけお風呂に入ってか ら、テントが張れそうな公園を探した。程度のいい公園が見つかりスーパーで 買った夕食を食べ、早めに寝た。
翌日、桑名のまちを出て、名古屋の中心部をバイパスする国道23号線を東に 走った。
木曽川など大きな川を橋で越え、再び国道1号線に戻った。ここからまた、 国道1号線をひたすら東に走った。岡崎、豊橋を越え、静岡県に入った。
浜名湖のあたりは、高校生の時、飛騨高山への旅の帰りに走った道と同じな ので、「ここで休んだな~」と思い出すこともあり、なんとなく懐かしくなっ た。
浜松を過ぎ、高校の時の旅では、海沿いに御前崎を通るルートを走ったが、 今回はできるだけ最短距離で走るためそのまま国道1号線を走った。
しかし、浜松から静岡までの国道1号線はバイパスとなる箇所が多く、時に は自転車が通れない自動車専用道路となるところもあった。しかし、雨でほと んど標識が見えずらくなっていたことやかなり飛ばしていたこともあり、その まま自動車専用道路を走ってしまった。
スイスイとバイパスも走り、夕方近くになったので、藤枝のまちでこの日は 泊まることにした。浜松からのバイパスの走りも手伝ってか、この日の走行距 離は180kmを越えた。
藤枝のまちではテントが張れそうな藤枝駅前の公園を見つけたところで、近 くのスーパー銭湯を見つけお風呂に入った。
旅も残すところあと1日・・・。旅を出たとき、どうなることやらと思った が、無事に家に帰れそうだ。でも、もっと旅を続けていたいが、家にも早く帰 りたい。そんなことを思うと、寝袋に入ってからも寝れなかった。
結局、ほとんど眠れず翌朝を迎えた。旅の最後の日となるこの日は、最後で ありながら一番ハードなコースとなった。なぜなら、横浜の自宅までの距離が 200km近くある上、天下の険と言われる箱根の峠を越える道だからだ。旅の最 後に相応しく、走り甲斐のある道だ・・・。
眠れないことが幸いして、藤枝を6時前には出ていた。
天気は朝から雨。しかし、走りは順調。気が着けば、静岡、富士を抜け、昼 前ごろには沼津に入っていた。沼津近くの三島からは箱根への山道が続く。そ う、箱根は天下の険と言われるくらい急な登りが続く峠だ。
三島の定食屋でとんかつ定食を頼み、腹ごしらえをして、天下の険に挑んだ。 三島から箱根峠までは約15km。言うまでもなくほとんど上り坂。雨も影響して 漕いで進むにはかなり辛い。
幸い暑くなかった分、体力は消耗せず1時間半程度で峠に着いた。峠を越え、 国道1号線の最高地点を越すと後はひたすら下り。登りの苦労がここで報われ る。しかし、雨が無情にも下りの心地よい気分を半減させた。さらに、週末と 言うことも箱根から帰る車の渋滞で側道を大型バスでふさがれ、私のチャリも 渋滞にはまる場面もあった。
どうにか箱根を越え、小田原に入り馴染みの景色が目に入ってくるともう、 帰ってきた感じで懐かしくなった。
小田原からは、海沿いを走り、平塚、藤沢と抜けた藤沢に入った時にはもう 夕方の6時を過ぎていた。藤沢からは、大阪から走ってきた国道1号線から離れ、 真っ直ぐ北へ向かう国道467号線を自宅方面へ向かった。
雨と夜の暗さで視界が悪いのだが、ここまで来ると家のゴールまで目と鼻の 先。まったく苦にならない。
大和市に入ってからは、中原街道に乗り換え、自宅まで数キロとなる道を旅 のいろいろなことを思い出しながら走った。雨と一緒に旅をしたと言ってもい いくらい、雨に降られる日が多かったが、本当に無事に帰れたことが一番のう れしさだった。出発の時は、最悪、死を覚悟していたがそんなことが昔のこと に思えた。
そんな見慣れた道を30分走り、ついに自宅に着いた。雨の中、家族が出迎え てくれた。「何より無事でよかった」と両親は久々にみる我が子を随分丁寧に 扱ってくれたことがとても印象的だった。
・・・こうして、横浜の自宅を出発してから65日間、約6,000kmに及ぶ日本 一周の旅は終わりを迎えた・・・。
●63日目 9/25(金)、雨時々曇り、走行距離166.3km
大阪(大阪府)→京都(京都府)→大津(滋賀県)→四日市(三重県)→
桑名(三重県)
●64日目 9/26(土)曇り、走行距離183.1km
桑名(三重県)→岡崎(愛知県)→豊橋(愛知県)→磐田(静岡県)→
藤枝(静岡県)
●65日目 9/27(日)雨時々曇り、走行距離190.0km
藤枝(静岡県)→静岡(静岡県)→沼津(静岡県)→小田原(神奈川県)→
平塚(神奈川県)→自宅(横浜市保土ヶ谷区)
⇒ここまでの走行距離4964.4km(メーター壊れなどで、実際は+970km?)
⇒全走行距離約6,000km!
<第25回へつづく・・・>
9/25~9/27のルート地図(クリックすると拡大された地図が出ます)
ゴール直後の私とチャリ(横浜市の自宅前)