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第2回 アメリカ西部の旅の始まりはシアトルのまちから

 アメリカ西部への出発の日、1999年7月27日、朝7時半に起きた。
いつもと変わらない朝だった。今日、アメリカに行くという緊迫感がない。 何気なく、大きな荷物をザックで背負い、9時に家を出た。
これからの51日間どうのなるのだろうか・・・まったく予想ができない。

 自宅からいつも乗り慣れている路線バスに乗り、横浜まで。横浜からは、こ れまたバス(バスといってもYCAT発のリムジンバス)で成田に向かった。
成田には、ちょうど昼ごろ着いた。成田に着いてから、やっと緊張してきた。
ターミナルで昼食をとり、13時にチケット受け取ってから、15:55発の便を待 つことになった。成田は、国際空港なので、もちろん外国人もたくさんいる。
しかし、外国の人を見ると、これから日本を出ようとしているのにすでに海外 にいるような何か不思議な感覚になる。

 搭乗手続きを済ませ15:30に飛行機に乗りはじめたが、私の席は、もちろん 安いエコノミーだったのだが、何やらブッキングが発生したようで、ビジネス クラスの席になった。「ラッキー」と思い飛行機に乗り込んだが、どこがどう エコノミーと違うのかよく分からなかった。

 16:30ごろ飛行機は、成田を離陸した。隣の席には、アメリカ人の女の子が 座っていたが、英語を話すことにまだ慣れていなく緊張のため、軽い挨拶程度 で済ませてしまった。
 離陸後、2時間もしないぐらいで、夕食となり、夕食後、少しアルコールも 手伝い、眠りについた。

 夜が明け、次の日・・・と言いたいところだが、太平洋上の日付変更線をま たいでいるので、再び7月27日の朝を迎えた。1日が48時間になったようで何か 得した気分だが、まったく寝付くことができず朝を迎えていた。
 朝からボリューム満天の食事が出て大変だったが、無事に8:40、シアトル・ タコマ空港に着いた。着いて早々、入国審査があったが、サングラスにガムを 噛む、いかにもアメリカ人らしい人が担当の人となった。初海外で心配してい た、入国審査でのやりとりは特になく、すんなり終わった。

 荷物を受け取り、早速、シアトルの中心部に・・・と思ったが、中心部に向 かうバスに乗るため、手持ちのトラベラーズチェックを両替して、現金化する 必要があった。仕方なく、空港で両替を頼んだが、これが誤算で、かなりの割 合で手数料が引かれ、ほとんど現金のドル券は手元に戻らなかった。
(あとで、分かったのだが、売店なので、普通にトラベラーズチェックで買い 物が出来たので、何か買い、お釣りを現金でもらえばよかったのだ)
 要領が悪いながらも、ドル券を手にした私は、シアトルの中心部に向かうバ スに乗り、まず宿となるユースホステルを目指した。某ガイドブックを見なが ら、ユースに一番近いところでバスを降り、そこから歩きユースに着いた。ユ ースに泊まる手続きは、すんなり行き、荷物を置いてから、シアトルのまちを 歩くことにした。

 まずは、REIという、一時期日本にもお店があった、シアトルで一番大きい アウトドアのお店に向かった。今回、実は自転車を日本から持ってきていなか ったので、ほかの道具と合わせて、このREIで買う予定でいた。お店は、アメ リカでも5本の指にも入るほどの大きさを誇り、入口ではお店の吹き抜けを活 用した、ロッククライミングの練習用の岩がお客を迎える。
 一度、店内を見回した後、自転車をじっくり品定めして、K2(スキー板など 有名なメーカー)のMTB(マウンテンバイク)をサイドバッグや水筒などの道 具と合わせて買った。自転車は、タックスも含め、425ドル(当時のレートで 約5万円)とやや高め、だったが新品には変わりはなく、車体は見た目より軽 く、走りも軽い。

 買った早々、ユースまでの道のりを、少しシアトルのまちを見ながら、チャ リを走らせた。夕食に、マクドナルドのビックマックを食べ、初日ということ もあり、早めに布団に入った。
 しかし、夜中の2時ごろユースのスタッフの人に起された。なんでも、チャ リの起き場所が悪かったらしく、移動させろということだった。
 そんなこともあり、まったく寝付けず、旅の2日目を迎えた。

 旅の2日目は、チャリのテスト走行とアメリカの生活に馴染むため、1日シア トルの観光にあてた。シアトルは、今ではイチローなどが活躍する大リーグの マリナーズの本拠地で、日本人にも住みやすいまちとして有名だ。
 この年、ちょうど大魔神こと佐々木投手がマリナーズに移籍した年だったの で、野球観戦はしないまでも、野球場だけでも見ようと思い、セーフィコフィ ールドを覗いた。スタンドには入れなかったが、ちょうどアメフトの練習をし ていたようで、日本とはスタジアムの作りが違うなと感じた。
(実際に、シアトルではキングスドームというドーム球場を使っていたようだ が、屋外のスタジアムの人気が高く、ドームを潰してまでこのスタジアムを作 ったほど、アメリカ人の野球熱は高い)

 スタジアムを見た後は、パイオニアスクエアを見て、日本でも最近は珍しく なくなったスターバックスコーヒーのお店(シアトル発祥のカフェだからちゃ んとシアトルに一号店がある)で、ベーグルにアイスコーヒーのブランチをと る。
 食事の後は、港の方に行き、市場や面白い形のタワーを見て、中心部をほと んど見てまわり、ユースに戻った。

 夕食は、途中買ったパンで済ましたが、食後、ユースの共有スペースに行く と日本人の女性がいた。彼女から先に話しかけれた。なんでも、サンフランシ スコに住んでいるようで、シアトルから近い、オリンピック山に行こうとして いるようだった。アメリカについてからシアトルの空港でいた、観光案内所の あばさん以来、日本人二人目との会話となった。
 どれくらい、彼女と話したのか分からないが、話が落ち着いたところで、彼 女と別れ、挨拶をした。

 その後、しばらくその場でぼーとしていたら、アジア系の男の人に英語で話 しかけられた。話してみると、彼は韓国人でリーという学生で、カナダのバン クーバーに3ヶ月滞在したあと、自転車でシアトルに来たらしい。彼とは、初 めて英語での長い会話となった。初めは、なかなか彼の英語が聞き取れず、苦 労したが、話しているうちに慣れてきて、少しまともな会話が出来るようにな った。しかし、彼の英語はしっかりしていて、私もそうだが、日本人の学生よ りも韓国人の学生のほうが英語を話す力は、あるようだ。
 結局、彼との話で盛り上がり、この日、深夜の1時にベッドに入った。


●1日目(日本時間) 8/27、晴れ
 自宅(横浜)→成田→(機内泊)
●1日目(アメリカ西部時間)8/27、晴れ
 (機内泊)→シアトル・タコマ空港→シアトル市街
●2日目 8/28、晴れ
 シアトル市街観光


<第3回へつづく・・・>

REIのお店の中のクライミングウォール(シアトル市街、1999年7月27日) 新しく買ったチャリとユースホステル(シアトル市街、1999年7月27日)

REIのお店<左>とチャリをユースホステル前に<右>(シアトル市街)

シアトル港前の駅(シアトル市街、1999年7月28日) シアトルの市場(シアトル市街、1999年7月28日)

シアトル港前の駅<左>とシアトルの市場<右>(シアトル市街)

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