第5回 ハネトで「らっせーら!らっせーら!」 <盛岡~函館>
岩手公園の芝生は寝心地よく、ぐっすり眠れた。朝起きて、マサが「家の母
ちゃんが今日仕事から実家に帰って来るので、兄ちゃんのことが分かる」と言
った。家に連絡を取るため、昼の1時過ぎまでは盛岡にいるということで、私
も1時過ぎまで盛岡にとどまることにした。
時間があったので、ガタがきはじめていた自転車のブレーキシューを取り替 えるため、街中の自転車屋を探すことにした。しかし、なかなか自転車屋は見 つからず、30分歩いてやっと自転車屋を見つけブレーキシューを購入した。
街をぶらぶらして公園に戻り、1時になってマサが実家に電話することにな った。しかし、相変わらず兄ちゃんとの連絡はつかないようだった。
そんなマサの複雑な気持ちを乗せ、2時に岩手公園を出た。30kmほど上り気 味で、途中、山中の石川啄木記念館に寄った。記念館では、啄木の生い立ちを 知り、啄木が教員をしていた当時の学校が残っていたので、見学をした。昔の 校舎は、天井が結構低く、木の香りが漂っていた。
記念館を出てからは、下り20kmの道のりを快適に走り、この日の目標地の金 田一温泉に着いた。金田一温泉は田舎の温泉街で、温泉に入ってから夕食をと るための店を探したが、近くには一軒の飲み屋しかなかった。飲み屋は、田舎 の居酒屋といった感じで、マサはカレー、私はチャーハンを頼んだ。味はまあ まあ。
食べ終わった時に、隣の席にいたおっちゃんに声をかけられた。「どこから 来た?」という質問は分かったが、その後の会話は、かなり方言がすごくて聞 き取れなかった。おっちゃんとの会話は進み、旅のことを話すと、例のごとく ビールをご馳走になった。
そんなこんなで、ビールを飲まされ、生ビールを中ジョッキ5杯飲み、すっ かりできあがっていた。話せば、このおっちゃん、地元建設会社の社長だった らしく、気前良くビールを奢ってもらった上に、1万円をいただいた。その後 は、店を変え近くのパブで2次会へ・・・。すっかり、マサは酔ってぐったり していた。おっちゃんにお礼をしつつ別れ、寝るためマサを介護し近くの公園 に向かった。
翌朝、マサは相変わらず、グロッキー状態であった。酔いながら寝たところ は、どうやら公園ではなく、町営プールにある東屋だった。夜中、東屋に着い た時には、先客がすでに寝ていた。先客は、思わぬ客にすっかり目が覚めてし まったようで、マサをいっしょに介護してくれた。先客は、大学生で私よりも 1つ上の人だった。彼は、北海道から実家の京都に向かっているようで、北海 道の様子を尋ねると、ずっと霧雨だったと話してくれた。彼は、先をいそうで いるようで、9時ごろに別れた。
この頃には、マサの気分もだいぶよくなってきたので、私たちも先を急いだ。 この日は、青森まで行こうと決めていた。しかし、天気は朝から雨で、しかも 肌寒い。この日は、夏にも関わらず、低温注意報が東北地方に出されていた。 道路の温度表示を見ると「20℃」と表示されていた。この日は、寒さと眠さで まったく先に進まない。
途中、雨がひどくなりドライブインで昼食ついでに少し休むことにした。昼 寝もして、3時にドライブインを出た。青森の目標であったが、無理をしない で手前の野辺地を目標地とした。野辺地の陸奥湾温泉の一軒の宿を見つけ、こ の日は宿でゆっくりすることにした。温泉で冷えた体を温めて夕食を宿でとっ た。素泊まり4,000円で、ちょっと出費がつらかったが、夕食のカツ丼は、今 までの旅の料理で一番おいしかった。久しぶりの畳の部屋と布団でぐっすり寝 た。
次の日、布団のおかげで、目覚めがよく疲れも取れた。朝食は、納豆定食を 食べたが、素朴だがやはり買って食べる弁当とは味が違い、栄養になる。ここ のところの雨で洗濯物がたまっていたが、女将さんが洗濯をしてくれて、乾燥 機で服をふかふかにしてくれた。宿の人にお礼を言って、10時に宿を出た。
青森までは約40kmの道のりで、疲れがとれたのであっと言う間の2時間で青 森に着いた。旅の出発前に、青森の「ねぶたまつり」を見たいと思っていたが、 タイミングよく、「ねぶたまつり」の開催期間であった。まつりは夕方からな ので、街中をマサとぶらぶらすることにした。青森と言ったら「りんご」とい うことで、街の「りんご」専門店を見つけ、りんごやりんごアイスを堪能した。 その後も時間があったので、海で釣りをすることにした。近くの釣具屋で竿な どの道具を買い、1時間釣りをしたが、これがぜんぜん釣れない。つまらなく なり、4時半ごろ街に戻った。その時、リンゴ専門店の人に「まつりは『ハネ ト』になって踊らなければつまらないよ。」と言われたことを思い出した。 「ねぶたまつり」自体はじめて見るのだが、『ハネト』の存在を知らなかった。 『ハネト』の貸衣装をやっているお店があるといっていたので、良く分からな いがとりあえず、衣装を借りて『ハネト』でまつりに参加することにした。
『ハネト』の衣装もばっちり決まり、はじまりだした祭りを見学することに した。祭りが始まると、太鼓やお囃子がねぶたの動きに合わせて聞こえてきた。 そんな、太鼓やお囃子に合わせて「らっせーら!らっせーら!」という声が聞 こえてくる。そう、『ハネト』は、この「らっせーら!らっせーら!」という 声に合わせて、独特のステップで跳ねるだ。元々、祭り好きな私は、すかっり 『ハネト』となり、1時間近くは跳ねていた。跳ね疲れ、最後にもう一度外か ら祭りを見てマサと街を出た。
言うまでもなく青森は、本州の北端の街。次に向かうのは、北海道!本州を 出たことがない私にとっては未知の大陸。「ねぶたまつり」の余韻を味わいな がら、20:20発の函館行きのフェリーに乗り、青森を後にした。
●8日目 8/1(土)、くもり時々晴れ、走行距離48.0km
盛岡(岩手県)→山中(岩手県)→一戸(岩手県)→金田一温泉(岩手県)
●9日目 8/2(日)、雨、走行距離82.2km
金田一温泉(岩手県)→三戸(青森県)→十和田(青森県)→野辺地(青森県)
●10日目 8/3(月)、くもり時々雨、走行距離45.2km
野辺地(青森県)→浅虫温泉(青森県)→青森(青森県)~函館(北海道)
⇒ここまでの、走行距離803.5km
<第6回へつづく・・・>
時間があったので、ガタがきはじめていた自転車のブレーキシューを取り替 えるため、街中の自転車屋を探すことにした。しかし、なかなか自転車屋は見 つからず、30分歩いてやっと自転車屋を見つけブレーキシューを購入した。
街をぶらぶらして公園に戻り、1時になってマサが実家に電話することにな った。しかし、相変わらず兄ちゃんとの連絡はつかないようだった。
そんなマサの複雑な気持ちを乗せ、2時に岩手公園を出た。30kmほど上り気 味で、途中、山中の石川啄木記念館に寄った。記念館では、啄木の生い立ちを 知り、啄木が教員をしていた当時の学校が残っていたので、見学をした。昔の 校舎は、天井が結構低く、木の香りが漂っていた。
記念館を出てからは、下り20kmの道のりを快適に走り、この日の目標地の金 田一温泉に着いた。金田一温泉は田舎の温泉街で、温泉に入ってから夕食をと るための店を探したが、近くには一軒の飲み屋しかなかった。飲み屋は、田舎 の居酒屋といった感じで、マサはカレー、私はチャーハンを頼んだ。味はまあ まあ。
食べ終わった時に、隣の席にいたおっちゃんに声をかけられた。「どこから 来た?」という質問は分かったが、その後の会話は、かなり方言がすごくて聞 き取れなかった。おっちゃんとの会話は進み、旅のことを話すと、例のごとく ビールをご馳走になった。
そんなこんなで、ビールを飲まされ、生ビールを中ジョッキ5杯飲み、すっ かりできあがっていた。話せば、このおっちゃん、地元建設会社の社長だった らしく、気前良くビールを奢ってもらった上に、1万円をいただいた。その後 は、店を変え近くのパブで2次会へ・・・。すっかり、マサは酔ってぐったり していた。おっちゃんにお礼をしつつ別れ、寝るためマサを介護し近くの公園 に向かった。
翌朝、マサは相変わらず、グロッキー状態であった。酔いながら寝たところ は、どうやら公園ではなく、町営プールにある東屋だった。夜中、東屋に着い た時には、先客がすでに寝ていた。先客は、思わぬ客にすっかり目が覚めてし まったようで、マサをいっしょに介護してくれた。先客は、大学生で私よりも 1つ上の人だった。彼は、北海道から実家の京都に向かっているようで、北海 道の様子を尋ねると、ずっと霧雨だったと話してくれた。彼は、先をいそうで いるようで、9時ごろに別れた。
この頃には、マサの気分もだいぶよくなってきたので、私たちも先を急いだ。 この日は、青森まで行こうと決めていた。しかし、天気は朝から雨で、しかも 肌寒い。この日は、夏にも関わらず、低温注意報が東北地方に出されていた。 道路の温度表示を見ると「20℃」と表示されていた。この日は、寒さと眠さで まったく先に進まない。
途中、雨がひどくなりドライブインで昼食ついでに少し休むことにした。昼 寝もして、3時にドライブインを出た。青森の目標であったが、無理をしない で手前の野辺地を目標地とした。野辺地の陸奥湾温泉の一軒の宿を見つけ、こ の日は宿でゆっくりすることにした。温泉で冷えた体を温めて夕食を宿でとっ た。素泊まり4,000円で、ちょっと出費がつらかったが、夕食のカツ丼は、今 までの旅の料理で一番おいしかった。久しぶりの畳の部屋と布団でぐっすり寝 た。
次の日、布団のおかげで、目覚めがよく疲れも取れた。朝食は、納豆定食を 食べたが、素朴だがやはり買って食べる弁当とは味が違い、栄養になる。ここ のところの雨で洗濯物がたまっていたが、女将さんが洗濯をしてくれて、乾燥 機で服をふかふかにしてくれた。宿の人にお礼を言って、10時に宿を出た。
青森までは約40kmの道のりで、疲れがとれたのであっと言う間の2時間で青 森に着いた。旅の出発前に、青森の「ねぶたまつり」を見たいと思っていたが、 タイミングよく、「ねぶたまつり」の開催期間であった。まつりは夕方からな ので、街中をマサとぶらぶらすることにした。青森と言ったら「りんご」とい うことで、街の「りんご」専門店を見つけ、りんごやりんごアイスを堪能した。 その後も時間があったので、海で釣りをすることにした。近くの釣具屋で竿な どの道具を買い、1時間釣りをしたが、これがぜんぜん釣れない。つまらなく なり、4時半ごろ街に戻った。その時、リンゴ専門店の人に「まつりは『ハネ ト』になって踊らなければつまらないよ。」と言われたことを思い出した。 「ねぶたまつり」自体はじめて見るのだが、『ハネト』の存在を知らなかった。 『ハネト』の貸衣装をやっているお店があるといっていたので、良く分からな いがとりあえず、衣装を借りて『ハネト』でまつりに参加することにした。
『ハネト』の衣装もばっちり決まり、はじまりだした祭りを見学することに した。祭りが始まると、太鼓やお囃子がねぶたの動きに合わせて聞こえてきた。 そんな、太鼓やお囃子に合わせて「らっせーら!らっせーら!」という声が聞 こえてくる。そう、『ハネト』は、この「らっせーら!らっせーら!」という 声に合わせて、独特のステップで跳ねるだ。元々、祭り好きな私は、すかっり 『ハネト』となり、1時間近くは跳ねていた。跳ね疲れ、最後にもう一度外か ら祭りを見てマサと街を出た。
言うまでもなく青森は、本州の北端の街。次に向かうのは、北海道!本州を 出たことがない私にとっては未知の大陸。「ねぶたまつり」の余韻を味わいな がら、20:20発の函館行きのフェリーに乗り、青森を後にした。
●8日目 8/1(土)、くもり時々晴れ、走行距離48.0km
盛岡(岩手県)→山中(岩手県)→一戸(岩手県)→金田一温泉(岩手県)
●9日目 8/2(日)、雨、走行距離82.2km
金田一温泉(岩手県)→三戸(青森県)→十和田(青森県)→野辺地(青森県)
●10日目 8/3(月)、くもり時々雨、走行距離45.2km
野辺地(青森県)→浅虫温泉(青森県)→青森(青森県)~函館(北海道)
⇒ここまでの、走行距離803.5km
<第6回へつづく・・・>
8/1~8/3のルート地図(クリックすると拡大された地図が出ます)
石川啄木記念館の学校<左>と「ハネト」で跳ねる私<右>(岩手県山中、青森市)