第6回 北の大地との出会いと仲間との別れ <函館~登別>
青森からフェリーに揺られ、日付は変わり夜も明けない2時20分に函館に着
いた。フェリーで少し寝たが、眠気にたまらずフェリーターミナルの待合室の
椅子で寝た。だが、固い椅子なのでもちろん寝付けない。
函館の朝市に行くため、旅仲間のマサとともに4時半に起きて、フェリータ ーミナルをあとにした。朝市には、20分ほどで着き、待合室で見た雑誌に載っ ていた「きくや食堂」の巴丼を食べることにした。巴丼とは、ウニ、イクラ、 ホタテが3種類の丼でボリュームがあって1,300円という安さであった。「きく や食堂」は有名なお店らしく、有名人のサインが並ぶ。こんな贅沢な朝食は生 まれて初めてだった。
朝食後は、朝市をぶらぶらして、夕張メロンやカニなどを試食。チャリを押 しているとお店の人は「がんばれよ!これ持っていけ!」といって、何でもく れる。
朝食後の間食もひと段落し、近くのレンガ倉庫で眠いので仮眠を取った。し かし、すぐ近くでイベントがあったようで、マイク音で起こされた。
結局、ぐっすり寝れず、起きてマサと函館のまちを観光した。オルゴールを 売っている明治館、八幡坂や大三坂、旧イギリス領事館やハリスト教会などの 名所をまわり、イカスミソフトクリームも食べた(イカスミの味はほとんどな かった)。函館山のロープウェイは、山頂がガスって見えなかったので、いい 景色は望めないと思い諦めた。
函館のまちをだいたい観光して、この日の宿にする所を五稜郭のど真ん中の 公園にすることにした。五稜郭に向かう途中で、釣りに再チャレンジするため 釣りえさを買っておいた。五稜郭の公園に夕食前に着き、一度、公園の外で夕 飯を食べ、人気がなくなった夜にテントを張り、すぐ寝た。しかし、10時ごろ 高校生ぐらいの子どもが近くで花火をはじめ、騒がしくなり、なかなか寝付け なかった。
翌朝、「いち、に、さん、しー」という声が目覚まし代わりだった。「何だ? 」と思い、外を見てみると、公園ではラジオ体操が始まっていた。おじいちゃ ん、おばあちゃんがたくさん、テントの前で体操をしている。寝る場所を間違 えたようだ。おじいちゃん、おばあちゃんを前にテントを片付ける。ちょっと 恥ずかしかった。
7時半に五稜郭を出た。国道5号線を北上し、ほどなく大沼に入った。しかし、 どうもマサの足の調子がよくない。様子見で、コンビニで休むことにした。コ ンビニの目の前で、メロンを売っているおばちゃんが「どっから来た?」と声 を掛けてきた。おばちゃんと話すと、メロンはライダーの人が買って行くよう で、メロンのほかゆでもろこし、鮭の燻製などをいただいた上、エリマキの木 で作ったキーホルダーをいただいた。メロンがおいしかったので、岩手の金田 一温泉でお世話になったおっちゃんにお礼にメロンを送った。
八雲で昼食を取り、3時には長万部に着いた。マサの足の調子も良くなかっ たので、今日は長万部で泊まることにした。寝るにはまだ早いので、余った時 間で釣りをすることになった。なんでも長万部は、カレイが釣れるところで有 名。そんなこともあり、釣り場に行くとすでにおっちゃん数人がカレイを釣っ ていた。釣りを先にしていたおっちゃんに釣り方のコツを教わり、釣りを始め た。
まもなく、次から次へとおっちゃんはカレイを吊り上げるが、一方、俺たち は・・・。待つこと1時間。「来た!」という声がマサから聞こえた。第一号 のあたりは、マサだった。しかし私には、あたりは来ず。さらに待つこと2時 間、ついに私の竿にヒット。釣ったカレイはそんな大きくはなかったが、これ ほど釣りで感動した瞬間はなかった。
結局、マサと私の1匹ずつのカレイ2匹しか釣れなかったが、釣り方のアドバ イスをしてくれたおっちゃんにカレイを4匹もらい、全部で6匹のカレイが夕食 の食材となった。おっちゃんにカレイはさばいてもらい、焼いてみることにし た。しかし、ガスのストーブではなかなか火が通らず、半生で食べてしまった。 北海道は釣りをすれば、素人でも新鮮な魚が釣れるのだから、本当にいいと ころだと感じた日であった。 翌日、マサの足の調子がやはりよくないので、これからチャリの旅をいっし ょにするかをマサと相談した。結果、これ以上私のペースを乱したくないとの マサが言い、室蘭でマサがフェリーで大阪に帰ることになった。
やはり別れが惜しくなり、室蘭までは一緒に走ろうと話した。しかし、長万 部を出てから一向に、マサのスピードが出ない。しんどそうだった。私と旅の 経過日程が違い、マサは私よりも西の大阪から出発し、旅も長い。疲れがたま っていてもおかしくない。「先に行ってくれ!」と何度もマサが言うが、とて も先に行くことはできなかった。
伊達を過ぎたあたりでついにマサの足が限界に来たようで、マサはまったく ペダルをこがなくなった。心配してマサに声をかけると「先に行ってくれ!登 別まで間に合わへんで!」。1週間旅を共にした仲間と別れるのはつらい。別 れるのはとてもつらいが、私にも日本一周という目標があったので、断腸の思 いで、先に行くことを選んだ。別れ際、マサに「がんばれよ!」と声をかける と、「応援しているぞ!」との返事が返ってきた。マサにいう仲間に恵まれて、 いい出会いが出来たと思った。
マサと別れ、登別に着いたが、行きたかった登別温泉は一山登らなければい けなかった。しかし、雨での走りで体力はなく、隣町の虎杖浜で宿をとること にした。
虎杖浜の銭湯で、70歳ぐらいのおじいちゃんに「焼けてるね~」と声をかけ られ、おじいちゃんと話をした。話してみるとこのおじいちゃん、20年前まで は、近くの原子力施設の代表だったと話してくれた。なんでも、四国と本州を つなぐ橋(瀬戸大橋?)のワイヤーを作ったそうだ。ワイヤーといっても300 トンもあるとのこと。おじいちゃんの子どもは、私と同じ大学の中央大学の法 学部にいたそうだが、7年も大学にいたので、しびれて北海道に連れ戻してき たと話していた。おじいちゃんは、私のようにチャレンジするような青年にあ こがれているようで、チャリの旅をしている私にえらく感動してくれた。とて もありがたい応援をもらった。
この日、テントは雨のため銭湯の近くの公園で張った。
●11日目 8/4(火)、くもり、走行距離25.4km
函館(北海道)→五稜郭(北海道函館市)
●12日目 8/5(水)、晴れ、走行距離115.5km
五稜郭(北海道函館市)→大沼(北海道)→八雲(北海道)→長万部(北海道)
●13日目 8/6(木)、くもりのち雨、走行距離105.4km
長万部(北海道)→室蘭(北海道)→登別(北海道)→虎杖浜(北海道)
⇒ここまでの走行距離1049.8km
<第7回へつづく・・・>
函館の朝市に行くため、旅仲間のマサとともに4時半に起きて、フェリータ ーミナルをあとにした。朝市には、20分ほどで着き、待合室で見た雑誌に載っ ていた「きくや食堂」の巴丼を食べることにした。巴丼とは、ウニ、イクラ、 ホタテが3種類の丼でボリュームがあって1,300円という安さであった。「きく や食堂」は有名なお店らしく、有名人のサインが並ぶ。こんな贅沢な朝食は生 まれて初めてだった。
朝食後は、朝市をぶらぶらして、夕張メロンやカニなどを試食。チャリを押 しているとお店の人は「がんばれよ!これ持っていけ!」といって、何でもく れる。
朝食後の間食もひと段落し、近くのレンガ倉庫で眠いので仮眠を取った。し かし、すぐ近くでイベントがあったようで、マイク音で起こされた。
結局、ぐっすり寝れず、起きてマサと函館のまちを観光した。オルゴールを 売っている明治館、八幡坂や大三坂、旧イギリス領事館やハリスト教会などの 名所をまわり、イカスミソフトクリームも食べた(イカスミの味はほとんどな かった)。函館山のロープウェイは、山頂がガスって見えなかったので、いい 景色は望めないと思い諦めた。
函館のまちをだいたい観光して、この日の宿にする所を五稜郭のど真ん中の 公園にすることにした。五稜郭に向かう途中で、釣りに再チャレンジするため 釣りえさを買っておいた。五稜郭の公園に夕食前に着き、一度、公園の外で夕 飯を食べ、人気がなくなった夜にテントを張り、すぐ寝た。しかし、10時ごろ 高校生ぐらいの子どもが近くで花火をはじめ、騒がしくなり、なかなか寝付け なかった。
翌朝、「いち、に、さん、しー」という声が目覚まし代わりだった。「何だ? 」と思い、外を見てみると、公園ではラジオ体操が始まっていた。おじいちゃ ん、おばあちゃんがたくさん、テントの前で体操をしている。寝る場所を間違 えたようだ。おじいちゃん、おばあちゃんを前にテントを片付ける。ちょっと 恥ずかしかった。
7時半に五稜郭を出た。国道5号線を北上し、ほどなく大沼に入った。しかし、 どうもマサの足の調子がよくない。様子見で、コンビニで休むことにした。コ ンビニの目の前で、メロンを売っているおばちゃんが「どっから来た?」と声 を掛けてきた。おばちゃんと話すと、メロンはライダーの人が買って行くよう で、メロンのほかゆでもろこし、鮭の燻製などをいただいた上、エリマキの木 で作ったキーホルダーをいただいた。メロンがおいしかったので、岩手の金田 一温泉でお世話になったおっちゃんにお礼にメロンを送った。
八雲で昼食を取り、3時には長万部に着いた。マサの足の調子も良くなかっ たので、今日は長万部で泊まることにした。寝るにはまだ早いので、余った時 間で釣りをすることになった。なんでも長万部は、カレイが釣れるところで有 名。そんなこともあり、釣り場に行くとすでにおっちゃん数人がカレイを釣っ ていた。釣りを先にしていたおっちゃんに釣り方のコツを教わり、釣りを始め た。
まもなく、次から次へとおっちゃんはカレイを吊り上げるが、一方、俺たち は・・・。待つこと1時間。「来た!」という声がマサから聞こえた。第一号 のあたりは、マサだった。しかし私には、あたりは来ず。さらに待つこと2時 間、ついに私の竿にヒット。釣ったカレイはそんな大きくはなかったが、これ ほど釣りで感動した瞬間はなかった。
結局、マサと私の1匹ずつのカレイ2匹しか釣れなかったが、釣り方のアドバ イスをしてくれたおっちゃんにカレイを4匹もらい、全部で6匹のカレイが夕食 の食材となった。おっちゃんにカレイはさばいてもらい、焼いてみることにし た。しかし、ガスのストーブではなかなか火が通らず、半生で食べてしまった。 北海道は釣りをすれば、素人でも新鮮な魚が釣れるのだから、本当にいいと ころだと感じた日であった。 翌日、マサの足の調子がやはりよくないので、これからチャリの旅をいっし ょにするかをマサと相談した。結果、これ以上私のペースを乱したくないとの マサが言い、室蘭でマサがフェリーで大阪に帰ることになった。
やはり別れが惜しくなり、室蘭までは一緒に走ろうと話した。しかし、長万 部を出てから一向に、マサのスピードが出ない。しんどそうだった。私と旅の 経過日程が違い、マサは私よりも西の大阪から出発し、旅も長い。疲れがたま っていてもおかしくない。「先に行ってくれ!」と何度もマサが言うが、とて も先に行くことはできなかった。
伊達を過ぎたあたりでついにマサの足が限界に来たようで、マサはまったく ペダルをこがなくなった。心配してマサに声をかけると「先に行ってくれ!登 別まで間に合わへんで!」。1週間旅を共にした仲間と別れるのはつらい。別 れるのはとてもつらいが、私にも日本一周という目標があったので、断腸の思 いで、先に行くことを選んだ。別れ際、マサに「がんばれよ!」と声をかける と、「応援しているぞ!」との返事が返ってきた。マサにいう仲間に恵まれて、 いい出会いが出来たと思った。
マサと別れ、登別に着いたが、行きたかった登別温泉は一山登らなければい けなかった。しかし、雨での走りで体力はなく、隣町の虎杖浜で宿をとること にした。
虎杖浜の銭湯で、70歳ぐらいのおじいちゃんに「焼けてるね~」と声をかけ られ、おじいちゃんと話をした。話してみるとこのおじいちゃん、20年前まで は、近くの原子力施設の代表だったと話してくれた。なんでも、四国と本州を つなぐ橋(瀬戸大橋?)のワイヤーを作ったそうだ。ワイヤーといっても300 トンもあるとのこと。おじいちゃんの子どもは、私と同じ大学の中央大学の法 学部にいたそうだが、7年も大学にいたので、しびれて北海道に連れ戻してき たと話していた。おじいちゃんは、私のようにチャレンジするような青年にあ こがれているようで、チャリの旅をしている私にえらく感動してくれた。とて もありがたい応援をもらった。
この日、テントは雨のため銭湯の近くの公園で張った。
●11日目 8/4(火)、くもり、走行距離25.4km
函館(北海道)→五稜郭(北海道函館市)
●12日目 8/5(水)、晴れ、走行距離115.5km
五稜郭(北海道函館市)→大沼(北海道)→八雲(北海道)→長万部(北海道)
●13日目 8/6(木)、くもりのち雨、走行距離105.4km
長万部(北海道)→室蘭(北海道)→登別(北海道)→虎杖浜(北海道)
⇒ここまでの走行距離1049.8km
<第7回へつづく・・・>
8/4~8/6のルート地図(クリックすると拡大された地図が出ます)
旅仲間マサと五稜郭で<左>、カレイを釣る私<右>(北海道函館市、長万部町)