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第9回 花の浮き島で徒歩「8時間コース」 <礼文島>

 この日は、礼文島への6:20発のフェリーに乗るため、朝5時に起きた。
5時に起きたと言っても、あまりにも寒くてよく寝つけなかったと言った方が いい。朝食はパンで済まし、公園からフェリー乗り場まで一気に下り、目を覚 ました。
 フェリーに乗ると人が結構乗ってくる。多くの人は2等席になるが、この2 等席の席取りは、自転車の人は有利である。なぜなら、フェリーに乗るときは、 自動車やただ船に乗る人よりも、先に乗せてくれる場合が多いからだ。もちろ ん私は眺めがいい、窓際の席を取るのだが・・・。

 フェリーが出航して、2時間足らずで礼文島の港町、香深に着いた。
朝食べたパンでは、足りなかったので、島に着いて早々、お店でパンでも買お うと思い、4,5軒のお店を回ったが、なぜかパンがほとんどお店になかった。 あっても、食パンかあんパンぐらいであった。どうやら、船便の関係で、今日 の分の商品がまだ本島から届いていなかったようだ。仕方がないから、どう見 てもカステラとは思えない「カステーラ」という菓子パン(味はいまいち)を 買って食べた。
 そんなこんなで、香深のまちをブラブラしていると、フェリーの出航の見送 りにでくわした。よく見ると、騒がしく歌っている人の群れがあった。近くで 見ていたおじさんに聞くと、この礼文島の見送りは有名だそうで、なんでも宿 に泊まった人が島を出て行くとき、宿に残っている人が見送る。宿によっては、 踊ったり歌ったりして見送るそうで、特に、桃岩荘のユースホステルがすごい と言われた。1度、ユースホステルに泊まりたいという気持ちはあったが、今 回はあまり泊まる気にならなかった。

 香深のまちを探索した後は、桃岩と地蔵岩を見ることにした。桃岩への峠道 は厳しく、海抜0mから150mと急な道を登った。朝からきつい運動だった。桃岩 の展望台までの道に花がきれいに咲いていた。展望台から海を見るとまさに絶 壁。少し、怖かったが桃岩は桃のように面白い形をしていた。桃岩の次は、峠 を越え坂を下り地蔵岩へ。行ってみると岩の形は、地蔵と言うよりも「炎」に 近い形だった。

 2つの岩を見た後は、香深に戻り島の南のまち、知床へ。知床の灯台を見る ために自転車を降りて、1時間のハイキング。道にやたらとカラス(カラスじ ゃなくてこの辺では「エゾコクチョウ」と言うそうだ)が多くて、近づいても 逃げないのを気にしながら、灯台に行ってみたが特に面白いというものではな かった。
 山を降りる途中、マウンテンバイクを押して、登ってくる2人の人に会った。 話してみるとこの2人(1人は60代のおじさんで、もう一人は私と同い年ぐらい の女の人)、朝から自転車で「8時間コース」をまわってきたととのことだっ た。これはすごいことだ。観光パンフレットでこのコースのことを見ると島の 西側の山道(実は島には東側しか道路がないのだが)と書いてあったので、そ れを自転車で行くとは・・・。

 この2人と別れてからは、今度は北の岬のスコトン岬を目指すことにした。 途中、2人に教えてもらったキャンプ場でテントを張り、荷物を置いて岬に向 かった。岬はすっかり観光地化され、観光バスが乗り入れていた。なんだかが っかりした。

 岬を見た後は、突然の雨に降られながら大急ぎでキャンプ場に戻った。
キャンプ場はすでに、ライダーの人たちで賑わっていた。その中、昼間、灯台 で会った2人に再会し、お酒を一緒に飲んだ。3人で飲んでいるといつの間にか、 テントサイト近くのライダーの方も何人か加わり、すっかり旅の話で盛り上が った。2人(札幌に住んでいて、どうやらおじいちゃんと孫の関係)ともすっ かり仲良くなり、ライダーの方々ともいろいろな話ができた。
 空には雲の切れ目から北斗七星が輝いていた。この日もいい出会いがまたで きた。

島での見送り(礼文島香深、1998年8月12日) 島で出会った方々と(礼文島香深井のキャンプ場、1998年8月12日)

礼文島での見送り<左>と島で出会った方々と<右>(礼文島香深、香深井)


 
 翌朝、仲良くなった2人とあいさつを交わし、2人のこれからの動きを尋ねた が、2人はこの日、本島に帰るとのこと。私もこの日天気が良くなかったので、 朝に島を離れ本島で戻ろうかと思ったが、高いフェリー代を払って島に来たの だから、「8時間コース」に行かないわけには行かず、決心して挑戦すること にした。朝食もろくに食べず、そそくさと支度して出発の準備をはじめた。
 2人に別れを告げ、女の子と札幌をもしかしたら案内してもらう約束をして、 前日一緒に飲んだライダーの方々にも別れのあいさつをしてキャンプ場を出た。

 まず、「8時間コース」のスタートを香深として、コースの入口に自転車を 置き、そこからはひたすら歩くことにした。でだしに自転車で前日登った桃岩 への峠道を歩いた。自転車でここを登ったんだなと思いつつ、一面に広がる花 を見ながら、林道を登った。林道では、人はほとんどいない上に、霧が出てき て、なんだか急に寂しくなった。熊が出たらどうしようと思いながら、「レブ ンウスユキソウ」とい花が群生する場所まで来た。
 この「レブンウスユキソウ」は、エーデルワイスの仲間で、この島しか見ら れない高山植物。しかし、それらしき花を見つけられず、近くでカメラを持っ たおばさんが通ったので、聞いてみると「さっき、見てきたよ」と、花が咲い ている場所まで案内してくれた。花は、とても小さく、綿毛があるのが特徴の ようで、雨露をはじいていた。

 花を写真に撮ると、再びコースを歩いた。しばらくして、道は林道からちょ っと険しい登山道に変わった。登山道では、地元のおじさんに会い、「8時間 コース」は気をつけなと言われた。なんでも、「8時間コース」で死んだ人が いるとのこと。少し、怖くなったが、山は自分の得意フィールドで、装備もし っかりしているから大丈夫と言いきかせた。
 宇遠内から、いきなり海岸の岩場を歩くことになった。切り立った岩が今に も落ちてきそうで、スリルがあった。海岸を1kmほど歩き、また山道となった。 山道では、キャンプ場で一緒にお酒を飲んだライダーの1人に会った。このラ イダーも朝、「8時間コース」を歩くと言っていたので、再会がこんなところ でできてうれしかった。このとき、コースを歩き始め4時間は経っていた。

 その後、2時間、海沿いの山道を歩き、また浜辺にでた。ゴロタ浜を通り、 もう棒状態の足を必死で進ませ、コースのゴール、ゴロタ岬(本当は、スコト ン岬までだが前日通った道なのでここをゴールとした)に着いた。これで、礼 文島一周をしたことになる。岬からの眺めは、まさに絶景で、ここから島がほ とんど一望できた。
 帰りのフェリーの時間を気にしながら、急いで岬を降り、バス通りへ。しか し、バスの本数は少なく次のバスを待っていては、今日最終のフェリーに間に 合わなかったので、ヒッチハイクをすることにした。実は、ヒッチハイクは生 まれて初めてで、どきどきしていた。コツが分からず、手を挙げるだけでは、 なかなか車(特に観光客っぽい車)は止まってくれなかった。どうにか、5台 目ぐらいの車が止まってくれた。どうやら、島の民宿の人で、フェリー乗り場 まで、お客を迎えに行く途中だったようで、ちょうど運が良かった。

 こうして島の人に助けられ、5時25分のフェリーに乗るため、朝置いていっ た自転車に再会し、大急ぎでフェリー乗り場に向かったが、どうやらフェリー は、5時25分に島着でその後、稚内に引き返すスケジュールになっていたよう で、フェリー乗り場に着いたちょうどその時、船が乗り場に着いた頃だった。  花の浮島、礼文島の姿を見送り、私は稚内のまちに戻った。

●19日目 8/12(水)、晴れ時々雨、走行距離87.3km
 稚内(北海道)~香深(礼文島)→知床(礼文島)→スコトン岬(礼文島)→
 香深井(礼文島)
●20日目 8/13(木)、くもり時々霧雨、走行距離22.0km
 香深井(礼文島)→香深(礼文島)・・宇遠内(礼文島)・・ゴロタ岬(礼文島)⇒
 香深(礼文島)~稚内(北海道)
  ⇒ここまでの走行距離1746.4km

<第10回へつづく・・・>

クリックすると拡大地図が出ます

8/12~8/13のルート地図(クリックすると拡大された地図が出ます)


日本のエーデルワイス「レブンウスユキソウ」(礼文島桃岩付近、1998年8月13日) ゴロタ岬近くから北方を望む(礼文島ゴロタ岬、1998年8月13日)

「レブンウスユキソウ」<左>と遠くロシアの地を望む<右>(礼文島桃岩、ゴロタ岬)

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